蟹ヶ沢の春     佐藤 守

  昨年、11月の観察会で見たイワウチワの群落が気になりゴールデンウイークに再び蟹ヶ沢を訪れた。林道沿いの湿原では、想像以上に見事なミズバショウ群落が発達していた。また、その周辺を縁取るようにイワウチワ群落が満開となっていた。私は、今までイワウチワとミズバショウの群落を同時に観察できる湿原を訪れた経験がない。まさか、福島市でも自然林の伐採がかなり進んでいるこの一帯にこんな貴重な自然が残っているとは思いもよらなかった。このあたりは起伏が激しい地形で、ブナの生えている部分は小さく盛り上がっている。ブナの根が岩を抱き表土が剥げ落ちるのを防いでいるのが良く分る。その斜面にイワウチワが咲き、窪んだところは残雪が残り、一部ミズバショウの植生地となっている。

 

ミズバショウ群落が発達した小湿原

ブナの落ち葉から姿を現したイワウチワ

私が驚いたのはいいことばかりではない。この湿原を分断するように、工事用道路が切られていたのである。この道路は、昨年の観察会の時点ではなかったものだ。これに伴い、相当の樹が伐採されてしまった。砂防ダム決壊による土石流の発生を防止するための工事であることは、昨年の新聞やテレビの報道で承知していたことであるが、肝心の工事自体が、貴重な自然を維持することにどれだけ配慮されているのかとても心配になった。

 帰りの道で、対照的な2種類の人間に会った。始めは若者の集団で、見たことのない4輪車に乗っている。聞いたところバギーとかいう代物だそうで、山の斜面を自由に登るための道具らしい。これで、この先にある少ない自然林や湿原を走り回られたらと思うとぞっとしてしまった。そのグループを見やったあとで50才ぐらいの男性に会った。話を聞いてみると、ここの湿原のミズバシヨウが好きで以前から、毎年通っているそうである。以前は沢沿いに残雪を踏みしめて、湿原を訪ねていたそうだが、昨年工事のため新たに切られた林道で湿原が壊滅してしまうのではないかと心配しているとのことであった。 この工事の行方も含め、今しばらくこの一帯の自然観察を継続していこうと思う。

湿原の間に開かれた工事道

行く先には湿原が




カメノコテントウの独り言
 京都は東山と嵐山     

 前号に引き続きまたまた「荒れる森林」にこだわってみたい。さて、最近森林関係の本を漁っていて、対比してみると面白い2冊の本に巡り会った。一つはブルーバックスシリーズの一つで四手井綱英著「森の生態学」。もう一つは日本林業技術協会発行の「森林の環境100不思議」。

 比べて面白い箇所というのは、「森の生態学」の京都東山の森林に関する記述と、「森林の環境100不思議」の同じ京都は嵐山の森林に関する記述である。要約すると次のとおり。

 先ずは「生態学」での記述。「本来自然のリサイクルシステムが成立し、無駄なものはないはずの森林から、落葉、落枝、下草などを人間が失敬する事が続いてきたため、土地がやせてしまった。このため、本来の植生である常緑広葉樹林が後退し、最近までアカマツを主体とした森林となっていた。それが、化石燃料や化学肥料の普及で薪や肥料の需要もなくなり、人間による収奪が無くなった結果、徐々に本来の森に回復しつつある。」というもの。

 次に「100不思議」の場合。「嵐山の植生は13世紀末からサクラ、アカマツが植えられ、管理されてきた歴史がある。60年程前はアカマツが主体の森林だったものが、近年の自然に任せる管理の結果、アラカシなどの常緑広葉樹が優勢となり、アカマツやサクラが減少してきている。美しい森林景観維持のためには常緑広葉樹を伐採し、下草刈りなど人間によるきめ細かい管理が必要である。」という内容。

 同じ京都の東山と嵐山にそれぞれ起こっていること。歴史的経緯はともかく、最近起こっていることは「本来の自然植生に帰りつつある現象」という点でおそらく同じものと思う。でも評価の視点が正反対。森林の在るべき姿についての考え方の違いが明瞭に出ていて面白いと思う。東山の事例では常緑広葉樹林の生態系の回復を歓迎しているし、嵐山のケースでは明らかに人工林的な森の姿(アカマツやサクラ等の混交林を「歴史的風致林」として評価)に価値見いだしている。自然のまま姿がよいのか、それとも人工的に好みの姿にしておくのか、これはそこに関わるヒトの選択次第というところだろうか。

 話を雑木林に移して考えてみたい。最近、雑木林がもてもてのようである。なんだか、雑木林が森林の代表選手であり、雑木林への人間の関わり方というものが、イコール森林への人間の関わり方みたいな言われ方をしている気がする。雑木林(人工林も同様)の維持には手入れが必要とされていることから、手入れされていない森林は悪い森林であると決めつけ、森林がその土地本来の植生に戻っていくことを「荒れる」という扱いをし、挙げ句の果ては「人間が手入れをしないと森林は成り立たない」という。これはおかしいのではないか。最近、マスコミや林業関係者も含め「極相植生への遷移=荒れる→森林には人間の手入れが不可欠」のパターンの論調が多すぎる気がする。

 

ブナ林新緑の林床

ミズナラ林早春の林床

 

編 集 後 記

前号で鹿狼山山頂に建つ佐藤県知事の碑が話題になりましたが、またまた別の山頂で見ました。場所は、福島空港と福島博会場の見える東山という山頂。それはそれは立派な碑でした。周りとあまりの不釣合いに、登山者は口アングリでした。他の山で「山頂に建つ碑」に関しての情報をお待ちします。

 

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