山の教示             いわき市在住 吉田辰雄

緑に囲まれて暮らしたいと思い、山を買ってしまった。そして、家を建てた。日々、生活を維持するための作業が、思いのほか多い。雨による土壌流出であり、また、枝葉の繁茂が凄まじく、一年の放置を俟たず通行が不能になる。ことほどの有様である。快適な暮らしとは言えない。当然のことである。受動的な山での暮らし方である。とは言え、山の生き物相は豊だ。この間、私が実感し、意識した山の生き物は、フクロウでありノスリである。そして、悪さをするのが、イノシシやオオスズメバチで招かざる客である。とりわけ、フクロウから受けた印象が、強烈であった。
 街暮らしをしていた者が、見たこともないフクロウが夕刻、低空で目前に現われ、音もなく当然の飛行姿に圧倒されてしまった。その光景が、目に焼き付き意識に定着したのだ。じっと枝に潜んで獲物の動向を見張るのだ。首を回し、動き回るノネズミの物音を察知し、忍者のごとくノネズミを捕らえる体制で地面を滑空するのだ。庭で作業をしている私の存在に気づかずの滑空である。森の忍者と称されるフクロウともあろうものが、目前に姿を現すとは、不覚である。フクロウは、夜に存在を誇示する。鳴き声は神妙である。森の王者に相応しく、森の哲学者でもある。
 フクロウの生活史等を調べてみた。世代促進の季節は、繁殖の早春から巣立ちの秋にかけてである。「@早春に繁殖のため巣営地付近で夜に雌雄で盛んに鳴き交わす。A晩春に巣立ち、夏に狩りの訓練と飛行練習、晩秋にかけて独り立ちする。B留鳥として定住性が強く、生態系ピラミッドの頂点に位置する大型の猛禽類の1種である*」と、記載されていた。これまでに消灯後、軒下で二度・三度となく、長時間鳴いていたことがあった。庭で求愛していたのだ。また、庭が捕獲場と化し、無音で目前の餌の出現を待ち構えていたのだ。これは、私の限られた空間での出来事である。
 営巣には、フクロウが安らぐ洞が不可欠である。洞を生じる大木の樹林が必須である。里山の維持が重要である。餌の供給とフィールドの確保が、生態系の保全を意味する。
 私が暮らす里山での生息数は知らない。以下のイメージ図を作成してみた。「フクロウは、生態系ピラミッドの頂点に位置する猛禽類である*」ため、その個体数の増減が、里山の環境指標になると考えた。

テキスト ボックス:      多
  鳴
  き
  声
  頻
  度
     少		






	




	




	
	
			


	


	


	
           春   夏   秋   冬
 図 四季とフクロウの鳴き声頻度(イメージ)
注1)春:繁殖行動
 2)夏:テリトリ−維持のための示威行動
 3)秋:子離れを促すため、また冬に備えての捕     獲行動の活発化
 4)冬:活動低下
左図は、イメージである。鳴き声頻度は、自宅で聞いた記憶に基づいた。
春は、求愛行動が主に頻度を上げる。
夏は、テリトリ−維持のための示威行動で頻度を上げる。
秋は、子離れを促すため、また「冬に備えてノネズミを捕獲し、皮下脂肪の蓄え*」のために活動を活発化し頻度を上げる。
冬は、活動の低下による頻度減となる。
今後、数年を掛けて、月ごとの頻度数を記録し、イメ−ジを証明したい。
山の作業には、体力の維持が不可欠だ。楽しい山での暮らしには、生き物への興味と観察を通しての人間力の維持と向上が求められる。山の暮らしには、体力と人間力を意識せざる得ない機会が、より多いことに気がついた。これが、山の教示だ。
*:ネット「ウィキペディア」でフクロウを参照した。




 

 

自宅周辺の里山

 自然が、そして人間も、変わりゆく中で・・   別所 智春

◆あのときは・・・浜通りの空は青く、よく晴れていた。気持ちに余裕がなかったのか、あとは冬枯れの景色ぐらいしか思い出せないが、燃料半分の車で、会津までは行けるだろうと家を出た。
かみさんが勤務先の病院から電話をくれたのは、水素爆発からすでに五日経ってのことで、通りに出ると、すぐ近くの病院の前には自衛隊のバスやジープなど数台が並んでいて映画を見ているような光景だった。心配とか不安とかは頭になく、すでに大移動の終わったガラすき道路を走り、ともかく会津に着いた。三月末の会津、東山では雪解けが始まった道路わきにフキノトウが顔を出していた。投げ釣りをした砂浜、堤防もえぐられてしまった光景に息子の目はウルル

◆我が家へ・・・避難はしたものの、留守にした家が気がかりで満タン給油を機に原町へ戻る。小雪ちらつく会津から、季節はいつか春の息吹きに変わり、庭の手入れから、地震でずれた屋根瓦直しや防犯用センサーライトを取り付けたりしたが、店が開いてないので買い物するためには何度も相馬に出かけた。 一段落して情報収集にと市役所に行ったら、地元住民が避難しているなか、全国からボランテアが応援に駆けつけてる現状を目の当たりにし、すでに支援物資のボランテアをしていた山仲間と共に、相馬までしか来ない宅配便受け取りを一カ月ほど続けた。その後、テレビでしか見ていない沿岸部の状況を「自分の目で見ておけ」と言っておいた東京の息子が、会社から特別休暇を貰ったと帰省したので、南は浪江・請戸地区(原発から8キロ)北は仙台空港まで、写真を撮りながら見てまわった。基礎だけの住居跡、防風林の松林は消え、子供のころ。

◆国見山へ・・・翌年、生涯学習センターで線量計の貸し出しを始めたので登山口の高倉ダムに向かった。モニタリングポストがあり、当時は2.3μSVを表示していた。更に奥に向かい、農林課の許可を得てきたので通行止めチェーンの鍵を外し
横川ダムに通じる国見山林道に入る。林道のほぼ中間で、国見山の沢コース登山道と交叉する。携帯線量計で8μSVほど。
地表面の落ち葉の上では10μSVを示した。昨年の測定では空間2μSVほどになっている。国見山頂で0.8μSV。林道わきや登山コースはイノシシにかなり荒らされていた。
          
◆消えゆく緑・・・何度か国見山に向かうのはトウホクサンショウウオの棲息地があるからで、線量測定は農林課に報告したいためである。沢にいるハコネサンショウウオについては特に心配はないが、水の少ないクロサンショウウオの産卵地があぶないことになっている。それは除染によって表土を数センチはぎ取ることで補充土が必要になり、小高い山や斜面が削られている。平地になり、山砂が沢を塞ぐ。林が消えて幼生、成体共棲息に影響がでてしまうので自然の早い復元力に期待するばかりである。
 山だけではない。除染で屋敷林(いぐね)が伐られているし、作業のついでに庭木を切る人も多い。南相馬に限らず建築ラッシュで整地が進み、とりわけ復興住宅候補地では規模が大きく、街中からかなりの緑が消えている。今年の春、我が家の近くでチェーンソウの音が響き、何事かと見に行くと湧水地の松林が伐られていた。市に
保護を求めていたハンノキ数本も切られてしまった。水路は国有で市が管理だが、自然保護課のない南相馬。農林課、土木、
都市計画などに保全を求めたが、理解を示したのは、松枯れが進んでの処置で宅地の予定はない、と言った地主でした。

◆放射能なんか・・・小幡さんの花粉症の記事を読んで、荒れ地が増えたせいなのか、私も震災後に夏限定だがカモガヤなどイネ科のアレルギーに。こっちの方が実に厄介なんです。

 

国見山より望む  中央は原町火発

伐採跡地と湿地。湧水路は右側の光る部分

 

鹿狼山から  
34 〜アフリカツルスミレ〜    小幡 仁子

スミレの花が好きである。きっかけはやはり「高山の原生林を守る会」の観察会で、スミレには沢山の種類があり、それぞれに表情が違うことが分かったからだと思う。それまでは、スミレの存在は知っていたが、ひとまとめに「スミレ」でしかなかった。まず、ルーペを通してみる唇弁の美しい模様に驚いた。ひらひらと波打つ側弁、緩やかなカーブを描いて背筋を伸ばす上弁、スミレは作りそのものが美しく愛らしい。小さな芸術作品のようだ。見れば見るほど、神様はどうしてこのように美しい形や色をスミレに与えたのかと自然の不思議を感じる。

 私の故郷の山である鹿狼山にも10種類を超えるスミレがある。3月末のアオイスミレの花に始まって、5月のニョイスミレの花で終わるまで、スミレの花の季節は続く。鹿狼山に「スミレの女王様」と言われるサクラスミレを見つけたときは嬉しかった。スミレは花が終わった後も閉鎖花を付けていたり、葉っぱだけは大きく成長を続けたりしているから、かなり長い間地面から消えないでいる。そんなことに気が付いたのもずっと後になってからである。

  一昨年の6月末に秋田駒ヶ岳にタカネスミレを見に行った。高山の火山砂礫地にしっかり根を下ろし、コマクサと共に大群落をなしていた。そして、砂礫地でない黒土のところにはキバナノコマノツメが咲いていた。一緒に咲いているような場所もあったが、大方は棲み分けができていた。高嶺の花に出会う度、花が自分の適地を知って咲くことにも感動を覚える。
 キバナノコマノツメと言えば、オーストリアのダッハシュタイン山脈を歩いたときも岩陰に楚々として咲いていた。どうしてこんなに遠く離れた地に同じ花が咲いているのかと感動したものだ。また、昨年ピレネー山脈を歩いたときも、このキバナノコマノツメに出会うことができた。本([日本のスミレ]・いがりまさし)を読んだら「キバナノコマノツメは北極を中心に地球にグルリと鉢巻きをしたような地域に分布する。日本では北海道から屋久島まで分布し、一定の標高および緯度以上のところに普通に見られる」とあった。そうか、どんなに遠くても地球の鉢巻きの上だったんだ、と合点した。

  アルプス山脈を歩いたときも今まで見たことのない紫色の大きいスミレに出会った。内田一也さんの「スイスアルプス花図鑑」でビオラ・ケニシアViola cenisiaとビオラ・カルカラタViola calcalataと分かった。名前は各国にそれぞれあるし、ドイツ語もフランス語も分からない私は、覚えるなら学名のラテン語で覚えた方が覚えやすいことも分かった。ラテン語はローマ字読みに近いので、私でも何とか発音でき、言葉になりそうである。しかし、図鑑というのはありがたいものだ。
ピレネー山脈でも素敵な水色のスミレに出会った。これはビオラ・コルヌタViora cornutaと分かった。麓の街の本屋に「ピレネー花ガイド」という本があったのである。スペイン語の本で説明書きは読んでも分からないが、花の写真があり、ラテン語の学名も書いてあったので、これで名前が分かった。

 さて、下の写真は今年、アフリカに行ったときに熱帯雨林のジャングル中で見たスミレである。まず、スミレの花がまるっきり1本のツルの所々から出ていることに驚いた。花の感じはアカネスミレに似ていて上弁・側弁・唇弁や距もそろい、葉っぱは心形であった。1本のツルから、おおよそ等間隔に、花1つ葉1枚がセットになって直上していた。地面を四方八方に長く這い、草の上もお構いなしに這っていた。花と葉がセットになっている部分の下方には小さな突起が付いていたから、ここから根を出すものと思われた。ミヤマツボスミレなども茎が地表を這い、途中から根を出すらしいが、私はまだ確認していない。
「ふ〜ん、さすがアフリカだ」と、他にも珍しい花や樹木がいっぱいあって、感動の連続だった。街に出たら植物図鑑を買って、このスミレが何という名前なのかを調べようと思った。しかし、動物図鑑はあったが植物図鑑はなかった。ネットでも検索してみたがまだ不明である。自分の中で当面はアフリカツルスミレと名付けておこうと思う。(2015/08/30記)  

アフリカ・タンザニアの熱帯雨林の中で咲いていたスミレ