我が家の自然観察             河上鐐治

屋外の自然観察が困難になったので、我が家の庭の観察をしました。
 春に先駆けて花をつける「マンサク」が黄色い細長い花を開きました。その名の起源が“まず咲く”とか、枝一杯に咲くことから“満作”に由来しているといわれているので、満開になったらさぞ見事だろうと期待していましたら、花が多くなるにつれ、茶色いがくや花序が成長し全体が枯れたように茶色がかり、咲き始めの黄色い美しさがなくなってしまいました。人間も然り。全て初めが美しい。今年は「マンサク」に限らず花のつきが良いようです。「スギ花粉」も大量に生産されたようで、我が家では私を除いた全員が花粉アレルギーで、毎年春になると、目を真っ赤に充血し、鼻の頭を赤くして、塵籠はテッシュペーパーで溢れます。スギといえば子供の頃、スギ鉄砲を作ったのが思い出されます。「スギの実」を弾とし、押し出し棒は自転車のスポークでした。スギの実を取るときは、大量のスギ花粉を浴びたはずですが、花粉アレルギーの人はだれもいませんでした。
新説(珍説)昔は洟垂れっこが多かったので、鼻水(青っ洟)が鼻の粘膜をコーティングして鼻からの花粉の進入を防いだのではないか。

 今年も庭木の剪定をしましたら、昨年のスズメバチならぬスズメの巣を見つけました。目の高さくらいの枝の二股になったところを土台として、半球形の巣を作っていました。あの小さな嘴で、細い枝を巧みに組み合わせ、名人の組み上げた籐細工を思わせる見事なものでした。 遅くなったので明日写真を撮ろうと思っていましたら、明け方に小雨があり、濡れて形の崩れた巣は、だらしなく垂れ下がっていました。
教訓 “今日やろうとしたことは、明日に延ばしてはいけない”
僅かな小雨にも崩れてしまう繊細な巣を、冬の雪と大雨にも耐えるような安全な場所を選ぶ知恵には感嘆せずにはいられませんでした。

  春に先駆けて芽を吹くものに「ふきのとう(蕗の薹)」があります。生垣の下に数個芽を出しました。からあげにしようと思いましたが、数も少なく可哀そうなので今年は見合わせました。そのうち薹が立ち周りに「蕗の葉」が一面に広がりました。「ふき」と「ふきのとう」との関係を調べたら、「ふき」は「ふきのとう」から伸びた地下茎より葉を根生させるとあり、それなら「ふき」をいくらとっても来年には影響しないな。「ふき」のほろ苦さを味わおうと思っています。
春の味覚として毎年味わう植物に「よもぎ」と「たらのめ」の天ぷらがあります。「たらのき」は「ふきのとう」と同じく親の株から伸びた地下茎より生えたひこばえで次々と増えていきます。それらを地下茎を含めて切り取り、知人に分けてやりましたら、親幹が枯れてしまいました。一本だけ残った孫幹には芽生える気は見当たりません。大事に育て来年に期待し、今年は「よもぎ」と市販の「まいたけ」の天ぷらで我慢しました。

 黄色い「まんさく」に対して真っ白な「ゆきやなぎ」も満開でした。地面に目をやると黄色な「すいせん」が思わぬところに花を咲かせています。植えたわけでもないのに、何で増えたのか。同じ増えたのに「むすかり」があります。紫色の花を、集団で生えている柔らかなところから離れた、こんな所と思わせる硬い地面から生えているのもあります。可憐なスミレも庭のあちこちに咲いています。思わぬところといえば、「さんしょう(山椒)」の木があります。これは小鳥のお土産か。若葉が硬くならないうちに摘み取って今年の「鰊のさんしょう漬け」を漬けなければなりません。「こごみ」は葉を広げて食用の時期は過ぎてしまいました。「どうだんつつじ」は真っ白な蕾を今にも開きそうな様子で、これから夏にかけて「わらび」が伸び、「おおてまり」は枝一面に緑の蕾をもち、真っ白なな花を咲かせる準備をしており、「あやめ」や「かんぞう」もそれぞれの花を咲かせることしょう(2015年4月29日)。

     
 満開のまんさく  崩れたスズメの巣  トウが立ったふきのとう

 

 

散り始めた雪ヤナギ

ドウダンつつじ

 

鹿狼山から  
33 〜長引く花粉症〜    小幡 仁子

今から30年ほど前、福島市信夫山の下に住み始めた3月のある日、急にくしゃみが何回も出て、眼がかゆくなり、水のような鼻水がツーと出てきた。あのとき、近くの小さな医院に行って診てもらい、おじいさん先生にどうしてこんなことになったのかを尋ねた。そのときに「それは、あなたの体がなまくらになったからです」と言われたのが忘れられない。「なまくら」という言葉は余り聞いた覚えがなかった。辞書で引くと、「鈍(なま)くら」は意気地がなくてなまけものであること。鈍(どん)なこと。また、その人。とあった。切れない刀のことを「鈍刀(なまくらかたな)」という言い方をするらしい。30年経ってもそんな風に言われたのを覚えているのだから、人にものを言うときは気を付けなければならないと思っている。でも、あの先生の言ったことは本当のことだろう。それ以来ずっと花粉症は続いている。信夫山のスギ花粉は強敵であった。
それでも、年を取るともっと鈍(どん)になるのか、症状は軽減されている気がする。若い頃は薬を飲んでいても微熱が出て具合が悪かった。今は、3月に薬をもらい、マスクをしているとそうひどくならずに過ごせるようになった。マスクの性能が良くなったのかもしれない。毎年のことだから、かかりつけの町内の医院に行くと受付の人から「いつもの薬でイイですか。目薬は何本ほしいですか?」と言われ、待ち時間もなく帰ることができる。診察はない。見ていると次から次に花粉症らしい人が入ってきて、いつもの薬というのをもらっていた。新地町もスギの木は沢山ある。鹿狼山の麓はスギ林に囲まれ、風が吹くと黄色の花粉が舞い上がるのが見える。大方は手入れされず放置されたままのスギ林である。自然林を伐採し軒並みスギ林にしてしまった行政に腹が立つ。何とかしてもらいたいものだ。

 さて、今年3月、岩手県西和賀町に友人を訪問し、サクラバハンノキという稀少な樹木を観察した。雪が沢山あって地面は見えなかったが、湿地なのだろうか普通のハンノキも沢山植生していた。ルーペで雄花や雌花を観察していたら、とたんにくしゃみが何回も出て、鼻水も出てきたので慌ててマスクをした。どうやらハンノキの花粉もアレルゲンであるらしかった。私はくしゃみを数多くすると、頭痛がしてくる。用心してザックにマスクを入れておいて良かった。
 スギ花粉症になると、その後に続くヒノキの花粉もアレルゲンになるそうだ。そういえば花粉症である期間が長くなってきた気がする。いつもは5月の連休が終わると、嘘のようにすっきりしていたが、今年は6月になっても何となく鼻がむずむずするようだ。
 ハンノキの事があってから、自分にはもっと他にアレルゲンになっている植物があるのではないかと思うようになった。今、思い当たるのは、休耕田で繁茂しているイネ科の植物である。

 私は南相馬市に勤務している。毎日30kmの道のりを車で1時間ほど運転して職場に通っている。震災後、トラックや、除染関係の車両が増え、ノロノロ運転だ。車窓から風景を眺めながら走っている。自宅回りは休耕田もあるが大方の田んぼは苗が植えられ、あぜ道は草が刈られ、手入れされている。しかし、だんだん南に行くにつれて休耕田が多くなり、南相馬市原町区に入れると、田んぼはほとんど、雑草の生い茂る原っぱと化している。休耕田というよりも、放射能汚染による「止耕田」と言ったほうがいいのかもしれない。この土地は将来的に耕される見込みはないのだろうか。原っぱには所々広い宅地にいぐねが回され、納屋と母屋が別々の大きな家が建っている。おそらく昔からの農家であったろう。田畑を耕して生活していた人々の事を考えると暗然とした気持ちになる。

 この広い原っぱには、それこそ一分の隙もなくびっしりと雑草が生い茂っている。イネ科ではカモガヤ、エノコログサ、スズメノテッポウ、ネズミムギなど、キク科ではヨモギ、ハルジオンなどが目立っている。その他、スイバやヘラオオバコ、カヤツリグサも生えている。調べてみたらカモガヤやネズミムギなどはイネ科の代表的なアレルゲンだった。
 同僚の一人も5月6月は眼がかゆいし鼻詰まりがひどいと言っていた。私は3月のスギ花粉症ほどではないが、鼻がむずむずするから、カモガヤの花粉にでも反応しているのだろう。
 なまくらな体はますますなまくらになり、これからどうなることやら分からない。いつでもどこでもマスクが取り出せるようにしておかなければならない。(2015/06/09記)

南相馬市の田んぼは雑草の原っぱと化している