クラシックコースを滑る (五色―沼尻スキーツア) 河上鐐治 |
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昭和64年2月、吹雪の中を東京から来た山仲間4名と鉢森山の頂上に立った。鉢森山の中腹から麓にかけて、栗子スキー場として賑わっている。頂上には秩父宮殿下の登頂記念碑が建っていて、戦前は峠駅からのスキーコースとして知られていたが今はすっかり忘れ去られてしまった。、この記録が有名な板倉勝宣の古典的名著「山と雪の日記・冬の日記」に詳しい。ここから奥羽本線を隔てて吾妻を望んで、噂に聞いていた日本有数の五色―沼尻コースを滑りたいとの希望が出され、機会を見て実施することを約束した。 |
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沼尻-五色温泉コース標識 |
ツアー標識 |
家形避難小屋 |
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里山植林地の現在 佐藤 守 |
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昨年11月に、総会前の観察会候補地に予定されていた狐郷山を下見に出かけた。残念ながら、登山道はアズマネザサに覆われ荒廃が進んでおり、そこでの観察会は諦めざるを得ないと判断した。代替地を見つけようと地図を頼りに周辺の里山を物色しているうちに「立子山」と書かれた案内プレートを見つけた。 期待を込めて散策路に入った。開かれた広い散策路周辺に散在する広葉樹を楽しみながら歩む。ほどなく道の両側に学校の卒業記念植林を告知した標柱と看板が現れた。左側の白い標柱には前面に「立子山中学校総合学習(ヒノキ)」側面に「平成18年5月24日」とある。植えられたヒノキは順調に生育していた。そこから少し登ったところにも「立子山小学校記念植樹」の白い標柱があり、そばに案内板が設置されていた。案内板には「舘の山植林事業、この事業は(社)福島県緑化推進委員会から緑の募金交付金の助成を受け、立子山小・中学生の自然観察学習の場作りを目的に、森林ボランテアの協力により実施されたものです。平成18年4月16日」と書かれていた。こちらの植林地には何が植栽されたのか不明だが一面クズとアキノキリンソウ畑と化していた。さらに登り、山頂の広場に出ると四阿(あずまや)が設置され、軒先には「立子(西館)学舎」と掘られた木製の重厚な案内板と駒米館(西館)に関する歴史を記載した説明板が掲示されていた。これによると、この一連の整備事業は福島県地域づくり総合支援事業として平成18年に実施されたらしい。平成18年といえば会報91号で紹介した鳩峰峠で高山の原生林を守る会が植林を始めた年と同年である。いずれの植林地も植林後、管理の手は入っていないが、鳩峰峠の方は植林された広葉樹は順調に生育しているのに対し、こちらは残念ながら「自然観察学習の場作り」には程遠い結果となっている。何故、このような対照的な結果となっているのかその原因を考えてみることは植林を参加者の単なる自己満足に終わらせることなく本来の目的である自然林の再生を達成する上で大切なことではないかと思う。 1993年(平成5年)の白神山地のユネスコ世界遺産指定をきっかけに植林ブームが全国を席巻し、環境税を徴収する自治体も多数に亘っている。あれから20年近く経過し、その植林地は現在どうなっているのか点検が必要ではないだろうか。東日本大震災を機に植林活動復活の兆しがみられるが、過去の植林の失敗を繰り返さないためには植林地周辺の自然環境に対する冷静な分析と植林地の長期的な点検計画の構築が必要である。 |
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立子山里山(東館・西館・不亡園)整備事業福島県地域づくり総合支援事業 |
舘の山植林事業(立子山小校記念植樹) |
ネームプレート |
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クズとアキノキリンソウ畑と化した植林地 |
立子山中学校記念植樹 |
センニンソウの種子 |
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鹿狼山から |
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東日本大震災・大津波から4年が過ぎました。新地町では高台移転や災害公営住宅の建設が順調に進んだので、8地区あった応急仮設住宅を2地区に集約することになりました。空家率が7〜8割を越えたそうです。そういえば、仮設住宅の灯りが少なくなり、駐車場に車がないように思いました。入居率が低いとコミュニティの維持が難しくなり、防犯・防火の面でも心配があるそうです。我が家の近くにある仮設住宅は残ることになりました。そこはペットを飼っても良い住宅です。津波で家を失った方々だけでなく、放射能汚染からの避難をしている方も住んでいると聞きました。やがて全員が落ち着く先が決まれば仮設住宅は解体され、更地に戻ることになります。あと1、2年はかかるのでしょうか。集団移転の造成はすでに終わり、新しい家がたくさん建ち並んでいます。テレビのニュースでは高台移転の話がまとまらず、自宅の再建ができなかったり、人口流出が多くなったりした話を聞きます。4年も過ぎてもなお、先が見えない生活をするのは大変なことでしょう。 |
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自宅で育てたブナの苗木:樹高約20 cm 2006年6月4日鳩峰牧場植林地で撮影 |
津波後の沿岸部は防災緑地公園になる |
会報62号で報告しているように福島県自然保護課では2003、2007年の2回に亘り、東大巓湿原の植生回復事業を実施している。この事業は「吾妻山の会」と当会の2団体のボランテア協力のもとに行われた。当会は最もデリケートな池塘崩壊部の回復処理を担当した。回復処理前の2003年当時、その池塘は登山者の蹴りこみによりダムの役割を担っている周辺泥炭部の一部が崩れ、スゲ類の植生も失われかけて池塘水の流出は時間の問題となっていた。2003年の1回目の植生回復ネット被覆処理により泥炭層の崩壊の進行は抑えることができた。2007年は更にスゲ類の植生を回復するために植生回復ネット被覆の追加処理を加えた。
回復処理から7年が経過した2014年10月にこの湿原を訪れる機会があり、その池塘を確認したところ、見事にスゲ類の植生が回復していた。たった一つの池塘のごく一部の植生崩壊であっても、高山という厳しい条件のもとでは植生回復に10年を要したことになる。
決壊寸前の池塘
(2007年6月3日)
植生回復ネットの敷設処理
(2007年6月3日)
回復したスゲ植生
(2014年10月12日)