我が家の動物記 河上鐐治 2014年6月25日 |
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現在の仕事といえるものは、庭の草むしり位です。自然観察会に中々参加できないので、我が家の自然について報告いたします。 |
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スズメバチ |
タヌキの子供 |
鹿狼山から |
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9月になって、鹿狼山も秋の気配がしてきた。タマアジサイが終わって、紫色のコバギボウシが登山道沿いに点々と並ぶと、今年も秋がやってきたと思う。そのコバギボウシも盛りは過ぎていた。センニンソウもいつものようにアセビの上に白いベールを広げていて、赤いミズヒキや黄色のキンミズキヒキがあちこちに咲いていた。キツリフネもあったし、シロヤマギクやオトコエシ、ヤマジノホトトギスも白く存在感を出していた。うれしいことに、クサボタンが花びらをくるんとさせて、かわいい薄紫色の花を咲かせていた。鹿狼山は色とりどりでなかなかの賑わいであった。 樹木の方はどうなったかと見上げると、オトコヨウゾメにはオレンジ色の実がついていた。もう少しすると赤い実に変わることだろう。今年は山頂直下のヤマボウシの実が豊作で、日当たりが良いせいかずいぶん濃いピンク色に熟していた。一緒にいた姉が、あれは何の実かと聞くので、あれはヤマボウシの実だよ。お猿の大好物というから食べてみたことがあるけれど、ちょっと甘くてぬるぬるしていて、そう美味しくはないけれど、お猿が山で食べるものとしてはご馳走だと思うよと答えた。私たちが幼い頃は近くにヤマボウシの木はなかったので、姉はヤマボウシの実を見たことがなかったのである。そしたら姉は「私も食してみたい」と言うのだった。山頂直下のヤマボウシには近づき難いので、登山道沿いにあるヤマボウシの所に行った。たった一つだけ実がついていたので、二人でよいしょとストックを伸ばして取ってみた。本当に食べるのかと思ったら、ちょっとかじって「なるほど甘いわね」と言って、後はぷっと吐きだし、残りをポイッと放り投げてしまった。あまり美味しくはなかったのだろう。放射能値が高いかもしれないし・・・。 私たちが小さい頃は、たとえばサガリコと言っていたウグイスカグラの実は、甘酸っぱい味がして、秋のお楽しみだった。その他、スグリコやキイチゴやイチジク、ヨツズミと言っていたのはガマズミの実だ。みんな子供のちょっとしたおやつだった。虫が入っていたり熟していないものもあって、苦かったり、渋かったりするものだから、投げたり吐きだしたりしたものも多かった。それでも、外遊びばかりしていた私たちの世代は、野にある草木の実を口に入れるのにそう抵抗はなかった。 考えてみると、猿やイノシシ、鳥などの動物は果実が美味しければ喜んで食べ、その種を遠くまで運ぶわけだから、植物は種の繁栄をかけて美味しい実を育て、食べてもらうのを待っているに相違ないと思う。人間の子供だって昔はそういう運び屋動物の一部だったということだ。 さて、鹿狼山にイノシシが増え、ヤマユリの大株がなくなったことを、私はIさんに話した。Iさんは植物に大変詳しく、色々なことを教えてくださる方だ。Iさんは事も無げにこう言った。「あのね、イノシシがヤマユリの球根を食べるのは、ヤマユリの戦略ってことよ。というのは、イノシシの食べ方は本当に雑で、食い散らかすから、球根が飛び散って、そこから新しい芽が出てくるらしいの」ということだった。そうだったのか!と私は目から鱗が落ちた気分だった。ヤマユリはイノシシに食べてもらうのを待っていたのか!だったら、鹿狼山にヤマユリの花が少なくなったとしても、そうがっかりすることはなかったのだ。ヤマユリの球根も他の果実と同じように、種をいかに繁栄させるかの戦略を持っていたのである。 ただ、この度の原発による放射能汚染が原因でイノシシは増えているわけだから、自然界のバランスは崩れているかもしれない。イノシシがあまりにも増え、ヤマユリの球根を食べ尽くしてしまえば、消えてなくなるかもしれないと思ったりもする。それに飛び散った球根から芽が出て花開くまで何年かかるだろうか。飛び散ったまま消えてなくなる方が多いだろう。そんなことを思うと、登山道沿いのちっぽけなヤマユリまでがやけに目につくようになった。これは種子から発芽したものなのか、それともイノシシが食い散らかした球根から出てきたものなのか、どっちなのだろうか。そして、何年後に花咲くのだろうか。 ヤマユリにしても、他の植物にしても、種を残し次の世代に繋いでいくために様々な戦略を持っていることは確かである。生き物の世界は本当に奥が深い。季節折々に色々なことを教えてくれる鹿狼山である(2014/09/17記)。 |
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コバギボウシ |
シロヤマギク |
キンミズヒキ |
オトコヨウゾメの実 |
このヤマユリは花開くのか? |
夏の終わりに仲間と苗場山と平標山を訪れた。苗場山はその景観がまるで「神様が苗を植えた場所」のようであることから名付けられたとされ、その山頂には1 0平方キロメートルにも及ぶ高層湿原が広がる。湿原には数百をこえる池塘があり、そこにはミヤマホタイが群生していた。また、湿原ではヤチスゲ、ショウジョウスゲなどに混じってイワショウブの花と果実が紅白の彩りを添えていた。 踏査した祓川コースは、登山道のほとんどに木道が敷設されており、山肌に直に触れながら歩く感触がそがれるのがさびしい。休憩ポイントの要所には大きな木造のテラスが設置されその規模からこの山の人気度が推し量られる。出会った登山者は圧倒的に若者と家族連れが多い。急登を凌ぎ、たどり着いた湿原にも山頂まで木道が敷設されていたが、山頂に至るまでほとんど湿原の崩壊が見られないことに驚いた。人気度が高いだけに、早くから湿原保護対策が徹底されていたのだろうと想像した。しかし、帰宅後、調べてみたら長野県側からのルートでは湿原の崩壊が問題になり、湿原を迂回するルートに変更した事例もあることが分かった。この事例では自然保護団体と県、地元自治体、環境省、大学の植物専門家との合議の上で対策が決定されている。 当会では2000年より西吾妻山域の登山道保全に取り組んでいるが、湿原に加え、西大巓山頂付近の斜面崩壊という難題を抱えている。今年は、ネーチャーフロント米沢の支援もあり、置賜森林管理署と裏磐梯自然保護官事務所に現地説明を実現することができ、ようやく関係機関による協議の場を設ける環境が整いつつあるところまで来ているが、苗場山の事例を知り、何とか新たな一歩を踏み出したいと思った。 平標山山頂で落ち葉をあしらったしおりをいただいた。しおりには中越森林管理署の記載があった。翌日の苗場山で再び同様のしおりを配布する集団に出会った。調べてみると、中越森林管理署には森林保護員(
グリーン・サポート・スタッフ)という山岳保全管理活動を行う集団が組織されていることが分かった。また、平標山の登山口では「ペット連れ登山自粛」を呼びかける張り紙があった。これらの事例は、東北の山岳自然保護でももう一歩踏み出すべきことが有ることを感じさせられた。 |
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