高山の原生林を守る会2013年活動報告

20131124日(日) 午後13001530  福島市東部学習センター

月 日

内 容

参加人数

224日(日)

126回 安達太良県民の森雪上観察会

中止

414日(日)

127  小鳥の森・スプリングエフェメラル観察会

23名

512日(日)

128  斜平山自然林観察会

2

622(土)〜26(水)

いがりまさしと仲間たちによる写真展:いがりまさし写真展『みちのく森の絆』&高山の原生林を守る会写真展『福島県のスミレ』

閲覧者

850

623(日)

西吾妻登山道誘導ロープ設置ボランテア(NF米沢と共同) 

7(+8)名

77日(日)

129  駱駝山・コメツガ林の美滝と夏の山岳植物観察会

10名

724日(水)

西吾妻山域登山道保全環境省東北地方環境事務所裏磐梯自然保護官事務所申入れ

2名

810日(土)

NF米沢高山アヅマホシクサ観察会

1(+8)名

818日(日)

弥兵衛平湿原植生回復事業第一回採種作業

1名

9月14日(土)

霊山、野手上山空間線量調査(学習院大学・村松教授同行)

3名

929日(日)

130  高津森山と旧米沢街道観察会

10名

1029日(火)

福島県における地熱資源開発に関する情報連絡会(第4回)

2名

11月2(土)

西吾妻登山道誘導ロープ取り下げボランテア

5名

1124(日)

131回 高松山・里山陽だまり観察会・総会

 

 

平成25年高山の原生林を守る会会計報告書(1121日現在)

収入決算額 292,860 円   支出決算額 111,113 円  平成25年度決算額 181,747円(次年度繰越金)

 

アカタテハ   鎌田 和子               

 9月中頃のこと。つい先日まで草ぼうぼうだったサイクリングロードの土手の草が、きれいに刈られていました。サイクリングロードが歩きやすくなったと、たいていの人は喜ぶのですが、私はガッカリします。なぜって、そこの草むらに、もうちょっとで羽化する蛹があったかもしれないのです。モンキチョウやベニシジミの幼虫がいたかもしれないのです!でも、次の瞬間に、あっ、そうだ、そういうことに悩まないことにしようと決めたんだと思い出しました。阿武隈川は一級河川。その保全管理のために請負業者が草を刈る。その度に、そこに生息している小さな生き物が…なんて、もう悩まないことにしよう、私はそう決めたのでした。頭をぶるっと振って、歩き出しました。

クサギ草を刈った後に伸びてきた

ヤブマオ

クサギアカタテハの隠れ家(幼虫の巣)

けれど、「月の輪大橋」近くのヤブマオが刈られてしまった(写真@)のを目にして、平静でいることはできませんでした。ヤブマオはアカタテハの食草なのです……。「あ〜あ、アカタテハもダメかぁ!」とため息がでました。が、すぐに、「ヤブマオって、伸びるのが速いんだ…そうガッカリしなくていいのかも…」と気を取り直し、かがんでよく見ると、ヤブマオの新芽が伸びているではないですか。河川敷に下りて、土手の斜面を見上げると、そのヤブマオの上を、ひらひら這うように蝶が飛んでいました!アカタテハが卵を産みつけているにちがいありません。飛び去るのを待って、ヤブマオの新芽をルーペで覗くと、萌葱色の卵が光っていました。毎年、この土手のヤブマオに、写真Aのようなアカタテハの幼虫の巣が見られるのは、『草刈り』に遭っても、すぐにヤブマオが伸びて、タイミングよく産卵するアカタテハがいたということ!?危うい、すれすれのところで命が継承されてきたということなのでしょうか。

その後、台風がきました。あの土手のヤブマオは、まだ背丈が低いから風に倒されはしないと思いましたが、台風の翌日に、念のため、見に行ってみました。思ったとおり、しゃんと茎が伸びて、新芽にアカタテハの巣が作られていました。それから数週間がたった頃、「あのアカタテハの幼虫は大きくなって、さぞや大きな隠れ家を作っていることだろう」と、ウキウキ観察に出かけました。ところが、様子が変なのです。背丈の伸びたヤブマオに、アカタテハの巣がいっぱい下がっている光景をえがいていたのですが、そのヤブマオがないッ!どうして?…近づいて見ると、ヤブマオは倒れていました。茎に葉がついていません。ナンデ、ナンデ!?訳が分からないまま、倒れた茎に、かろうじて残っているアカタテハの巣を覗くと、空っぽです。あっちのは?…これも空っぽだ!…全滅?…どうしてこんなことに?……、探して探して…やっとのこと、難を逃れた幼虫を見つけました。Jの字形の幼虫が巣の中にいました!何令になっているかは分かりません。大きく成長した幼虫です。生きている!そのまま、そっとしておくのがいいのです。でも、ヤブマオの葉がなくては…食べることもできず、新しい隠れ家も作れないのでは…と、幼虫を保護するいいわけをしながら、そっと連れ帰りました。

さて、保護しようと連れてきたのはいいけれど、わが家の庭のヤブマオのところに置いておいたのでは、すぐにカエルの餌食になってしまう。考えに考え、ヤブマオを花瓶に差し、それを柵で囲い、グリーンの網で覆いました。すると、アカタテハの幼虫は、庭のヤブマオから切ったばかりの新しい茎葉に移り、葉の上をゆうゆうと這い回り始めました。巣作りにかかるのだなと思って見ていると、なんと葉をムシャムシャ食べ出しました。えっ!? これはびっくりです。ここ数年、私がアカタテハを観察した範囲では、たいていの幼虫は新しい葉に移動すると、すぐに巣作りを始めるのでした。私は、幼虫のその行動を、外敵から身を守るためにいち早くやらねばならないことなのだと思っていました。なのに、この幼虫はいっこうに巣を作ろうとしません。お腹がいっぱいになったら巣作りに取りかかるのかもしれない。そう思って、今日は巣を作ったか、今日こそは作ったか、と毎日見ていました。が、アカタテハの幼虫は、そのまんま、姿をさらしたままです。まるでグリーンの囲いを自分の巣と錯覚しているかのようです。そして、驚いたことに、数日後、囲いのグリーンの網に、前蛹スタイルになっているではありませんか!そして、そのまま蛹になってしまいました(写真B)

アカタテハの幼虫をグリーンの網で囲うと、巣作りしなくなるの?そんなことが起こるなんてこと、生態図鑑に載っていません…。別の幼虫でも条件が同じなら、こんな珍しい行動を取るのでしょうか。この現象はこの幼虫だけのものなのでしょうか。その興味はさておき、蛹は、前蛹から2週間めの1021日の朝に羽化しました(写真C)。翅を広げたアカタテハの姿を撮るのは無理かなと思いましたが、飛び立つ前に写真におさめることができました(写真D)。アカタテハのことを、英名で、「Indian Red Admiral(インドの赤い提督)」というそうですが、グリーンの網の囲いの中の行動は、提督なればこそでしょうか。何はともあれ、無事に羽化して飛び立ったことにホッとしました。      (2013.10.24)

 

 

 

  アカタテハの蛹

  「翅の裏側」の複雑な模様と色合い

  クサギ表の翅は「インドの赤い提督」にふさわしい?

 

 

 

鹿狼山から  
27 〜秋祭りの再開〜    小幡 仁子

2011年3月11日の震災で、私の住む新地町は大津波により甚大な被害を受けました。海岸部3地区が流失し、100名を超える方が亡くなりました。あの年は、盆踊りも秋祭りも一切なく、また何かを祝うような気持ちにもなれず、ただ時が過ぎていった気がします。被災された方が避難所から仮設住宅に移り住み、今年になってからは、集団移転のための造成地に家が建ち始めました。また、この11月には、家を失ったお年寄りの方々が被災高齢者共同住宅へ入居されました。狭く住み辛い仮設住宅から快適な新住居へ引っ越すことができたのを同じ町民として喜んでいます。

先日、どうしているのかなあと気になっていた方に、偶然出会いました。震災前に奥様を事故で亡くされ、この津波で家を流されたのです。風の便りに、鬱病のような状態であるとか、仮設に一人暮らしをしているとか聞きました。一回り小さくなられたような気がしましたが、穏やかな笑顔でした。最近、家を建て、息子家族と暮らし始めたということでした。「いやあ、2年半は長かったなあ。長すぎた。」とおっしゃっていました。心労は測りしれませんが、新しい生活に、前向きに歩んでいるようでした。

10月の回覧板に秋祭りの案内がありました。「震災後初めての地区秋祭りになるので、ご協力・ご参加の程よろしくお願いします。秋祭りでは愛宕神社の神事、御神輿渡御行列、町多目的集会所では出店や芸能祭を行います。」という内容でした。

11月3日に花火の合図と共に秋祭りは行われました。私は今年度、班長当番なので受付の役を仰せつかりました。集合場所の愛宕神社に行ってみると、20代〜40代くらいの御神輿の担ぎ手が沢山集まっていました。若い禰宜様がいらっしゃって祝詞を上げられました。先代の孫息子がこの度新しく神官職を継がれたということで、神事を行うにも、初々しさが感じられました。神事が終わる頃に、賑やかに子ども達がやってきました。この地区の子供会でした。小学生と、母親に手を引かれるような保育園児も中に入っていました。下の公園で神事が終わるのを待っていたようでした。子ども御輿を担ぐために、法被を来て豆絞りの鉢巻きをし、出番を待っていたのです。少々待ちくたびれたようでしたが、大人には御神酒、子供にはジュースが配られるとニコニコしていました。

我が家の二人の息子も、ずいぶん昔のことになるけれど、こうやって子供御神輿を引きに来ました。大人の御神輿の後について、町内を練り歩くのです。町内にはあちこちに御神輿の休み所があって、大人には御神酒が振る舞われ、子供にはジュースやお菓子が配られました。「ワッショイ、ワッショイ!」と大きい声を出して一周すると結構疲れたのを覚えています。子どもが中学生までは、子供会の世話や部活動の世話などで地区のお母さん達とも話す機会が多かったのですが、今回は顔見知りの方はいませんでした。そして自分の住む地区には若いお母さん達や子ども達がたくさんいることに驚きました。町中に子どもの元気な声が響くのは良いものだと思いました。

私は、集会所で受付の仕事を始めました。地区の80歳以上の方は秋祭りにご招待されていました。腰を曲げながら、あるいは杖をつきながらも皆さん歩いてこられました。髪や身支度などもきちんと整えられていました。この秋祭りを楽しみに待っておられたのでしょう。御祝と書かれた熨斗袋をいただき、名前を確認したり、席に案内したり、お赤飯や婦人会で作った豚汁を出したりと、忙しく働きました。集会場は満員になりました。集会所のステージでは踊りや民謡の発表、ハーモニカクラブの演奏等が披露されて、芸達者な方が大勢いるのに驚かされました。手拍子や掛け声が飛び交い賑やかな芸能祭となりました。

震災・大津波という災害があり、この町の将来はどうなるのだろうと思いましたが、こうしてみると、御神輿を担ぐ若い世代もいるし、保育園児や小学生が集まって「ワッショイワッショイ」と子供御神輿を担いで回るし、お年寄りはご招待を喜んで集まってきています。2年9ヶ月は停滞していたのでなく、日々新しく動いていたのだと思いました。人は大きな時の流れに乗って生き、休むことは無いのかもしれません。

80歳を過ぎた父は「生ぎでいればいろんなごどに遭う。これまでだって色んなごどがあった。戦争もあった。立ち退きもあった。これがらだって、何あっか分がんね。おどろぐな。」と、こう言っています。何があっても生きているものは知恵を出し、協力して日々を暮らさねばなりません。秋祭りの最後に区長さんが「皆様のご協力のお陰で良い秋祭りになりました。ありがとうございました。」と言っておいででした。私も班長としての役目を果たし、ほっとしました。

御神輿魂入れ

御神輿の担ぎ手達

子供御神輿の担ぎ手達

 

編集後記

  東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染が発生してからまる3年が経過した。事故直後、ドイツ政府は原子力発電をゼロとする政策を決定した。事故当事国の日本政府は、エネルギー基本計画の序文から東京電力福島第一原子力発電所事故への「深い反省」を削除し、原子力発電をベース電源として位置づけるという。加えて、トルコなどへの原発技術輸出を積極的に推進するのだという。原発立国フランスならともかく、広島、長崎以来、再三再四原子力の深刻な被害を被ったにもかかわらず、現実を直視できない日本政府の救いようのない愚かさに暗澹とする。この3年の間に、原発の安全性を保障する新技術の開発がされたという話は聞いたことがない。また放射能廃棄物処理についても同様である。にもかかわらず、現政権は「安全を確認し、慎重に・・・」と観念的な言葉遊びに終始している。まるで、3年前の事故はまぼろしでもあったかのような振舞である。事故当事県・福島の自然は、深刻な環境汚染を被った上に、「仮置き場」を確保するため森を切り開き、自然エネルギーを確保すべく山や沿岸部の開発計画が進行している。トカゲの尻尾切りのように、事故の後始末を福島で自己完結させようとしているかのようである。この国は狂っていないだろうか。