日時 2013年7月24日10時〜12時 場所 裏磐梯自然保護官事務所 出席者 環境省東北地方環境事務所裏磐梯自然保護官事務所 首席自然保護官 二神紀彦 自然保護官補佐 渡部のり子 高山の原生林を守る会 代表 佐藤 守、事務局長 奥田 博 |
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1. 経緯説明(佐藤守) ・2010年6月に裏磐梯自然保護官事務所、会津森林管理署、高山の原生林を守る会で協議 ・2011年2月に裏磐梯自然保護官事務所、NF米沢、高山の原生林を守る会で協議(議事録と資料提出) 2.早急に行政的対応が必要と判断される個所 u 西大巓周辺(Aブロック):山頂直下の斜面崩壊 u 若女平入口(Dブロック):湿原植生崩壊 u 梵天岩付近(Eブロック):池塘崩壊 3. 質疑応答 u 西吾妻周辺で活動している団体は?→高山の原生林を守る会、米沢NF、(福島県自然保護協会) u 森林管理署の考え→登山道は環境省、周辺の森保全は森林管理署 u 東北森林管理局所轄の置賜森林管理署の動きはいいが、関東森林管理局所轄の会津森林管理署の動きは?→管理局間で対応に温度差がある。 u 福島県自然保護課は何も動かない。→尾瀬の自然保護対応が免罪符になっているのではないか。 4. 今後の進め方 u 環境省が中心となって、行政間の調整の場を設定してゆくことはやぶさかではない。 u 例えば「西大巓登山道崩壊」に絞って、環境省が中心となり、会津森林管理署、福島県自然保護課、自然保護団体の協議会を立ち上げるための課題を探る。 |
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2011年2月の要望事項 高山の原生林を守る会からは、以下の2点について要望した 1.行政的に管理責任者が明確にされても、実態として機能しなければ植生崩壊は進行してしまう。民間の自然保護団体などが参加した協議会を設置することで、行政的対応の遅れが明確になるし、行政同士の連携も可能となる。山岳の自然保護や登山道保全に関する大学の研究や環境省の取り組みでもこのような協議会方式が最も効果的であることが認識されつつあることから協議会立ち上げについて検討されたい。なお、山形県の対応次第ではNF米沢とともに要望書を提出することも検討したいので適宜、情報提供していただきたい。 2.水場から西大巓の区間は、地形的な問題も植生崩壊に関係している可能性もあるので、木道の設置など物理的対応だけでは崩壊防止は困難ではないかと危惧している。専門家による現地調査も検討されたい。 |
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ウスバシロチョウ 鎌田 和子 |
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写真@は、昨年の6月6日、米沢市を流れる最上川の河原で見たウスバシロチョウです。Aさんが、その一週間前に、偶然そこでウスバシロチョウを見たからと、私を案内してくれたのです。 ウスバシロチョウの食草がムラサキケマンということを知っているくらいで、ウスバシロチョウを見るのは初めてでした。案内されたところは、河川敷の公園から上流へさかのぼり、草が背丈ほどに伸び、釣り人だけが通るような狭い道を進んで行った先でした。その辺りには河川林があり、ヒンヤリしていました。そこに何頭もの白い蝶がふわふわ飛んでいました。これを『蝶の群舞』というのでしょう。よく見ると、翅を小刻みに震わしています。けれど全体としてはふんわり飛んでいるように見えるのが不思議。もっと先の河川敷にもウスバシロチョウが飛んでいるかと歩を進めましたが、そこから先には一頭もいませんでした。きっとウスバシロチョウにはウスバシロチョウのお気に入りの環境があるのでしょう。それにしても、ウスバシロチョウはどこに産卵するのでしょう?大抵の蝶は食草の葉裏や根元に産卵するものですが、辺りにウスバシロチョウの食草のムラサキケマンは見当たりません。たとえあったとしても、今の時期は草むらの中で、消えてしまっているはず。 |
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@ ウスバシロチョウ |
A ウスバシロチョウ雌の交尾嚢 |
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「ウスバシロチョウは、いったいどこに産卵するの?これから孵化する幼虫は何を食べて育つの?」と気になりましたが、初めて見るウスバシロチョウや、トラフシジミを写真におさめることができたことに満足し、疑問解決にさほど執着しませんでした。 その変な物体は「交尾嚢」というもので、交尾を終えた♀チョウの腹部に付いているものだそうです。交尾嚢を付けたウスバシロチョウを実際に見たばかりなので、図鑑の解説がよく理解できました。半田山で♀のウスバシロチョウを捕まえたAさんに感謝です。 交尾嚢を調べた勢いで図鑑を繰っていくと、ウスバシロチョウの発生は年一回、越冬態は卵だと分かりました。だから、ウスバシロチョウが羽化する頃にムラサキケマンが消えていてもおかしくない。ムラサキケマンは春に卵から孵った幼虫が食べたのだから。それにしても、成虫はどこに産卵するの?それと、夏に産まれた卵が、次の年の春まで卵のまま過ごすなんて、私には想像もできません。昨年、米沢で感じた疑問が首をもたげてきました。この疑問を解決するのはかなり難しいことに思えました。ところが、願えば叶うの言葉どおり、あっけなく疑問は解決してしまいました。すでに半世紀も前に、ウスバシロチョウの生活史に興味・関心をもった先達が、「太陽の子ウスバシロチョウの生活」という観察記録文を発表していたのです。雨の日、Aさんと訪れた県立図書館で、昭和34年に出版された「日本昆虫記U」に載っているのを見つけました。平易な表現で、私の疑問をすっかり解き明かしてくれました。来春、ムラサキケマンが咲く頃に、ウスバシロチョウの黒い幼虫を見に出かけてみようと思ったのでした。 (2013.6.24) |
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鹿狼山から |
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毎年7月20日頃になると鹿狼山にはヤマユリが咲く。ヤマユリは美しい花だ。花弁の先端がひらひらと反り返り、白く大柄で、女王のように誇らしげに咲いている。鹿狼山には10個くらいの花を付ける立派な株が鳥居の近くや頂上にあり、また、登山道沿いにも沢山のヤマユリが咲いていた。しかし、今夏7月21日に行ってみたが、鳥居の近くにあったはずの大株が無くなっていたし、登山道を歩いてみてもヤマユリは激減しているようだった。頂上に何人かの人がいたので「ヤマユリが大部減りましたね。どうしたんでしょう?」と聞くと「イノシシが掘って百合根を食べたんだよ。人が食べて美味しいものはイノシシだって食べたいんだろうね」ということだった。そういえば、昨年も、鹿狼山にはイノシシが地面を掘った跡がずいぶんあったから、私はミミズを掘って食べているものと思ったが、ヤマユリの球根まで食べていたのだ。 |
鹿狼山ではヤマユリの大株が消えた |
阿武隈の山々にイノシシが増えたのは、福島第一原発の爆発により、土が放射能で汚染され、その土を食べるミミズが汚染され、ミミズを好んで食べるイノシシの肉が高濃度に汚染されて誰もイノシシを獲らなくなったからである。あれから国道115号線を走っているとイノシシの姿を見るようになったし、車とイノシシが衝突して車がベコッとへこんだとかの話も聞くようになった。テレビや新聞などでも、時折、原発関連の話題として取り上げられたりしている。新地町でも以前から鹿狼山の麓の杉目地区ではイノシシに畑を荒らされたという話を聞いたことがあったが、頭数が増えて、今はずっと下の地区まで降りてきているらしい。ジャガイモなども大部やられて、もう作らないという人も出ているそうである。また、相馬市の磯部地区などの海岸部でもイノシシの姿が見られるというから、交通量の多い6号国道をどう渡って行ったのだろうか。いずれにしても、イノシシは山にある食べ物だけでは足りないから里に降りてきているのだろう。2週間に一度、食品の放射性物質の測定結果が回覧板で回って来るが、イノシシの肉は680?/sの時があった。もちろん、出荷及び摂取を控えるように国からの指示があるのだから、誰も食べないだろう。イノシシは増えるばかりなのだろうか。 知人に鹿狼山のヤマユリの話をした。知人はこのように言っていた。イノシシの被害がひどいから、イノシシ駆除に300万円ほどの予算が出たそうである。ところがイノシシを土に埋める訳にいかないので、ペット火葬場に運んで焼却処分をすると5万円かかり、捕獲してくれた人に1万円払うと、1頭あたり6万円ほどかかるそうで、とりあえず50頭分の予算はあるが、それで何とかなるものかどうかは分からないらしいと。汚染されたイノシシを焼却したら、それなりの放射能は撒かれてしまうわけで、それはどうなのか。でも、あのように大型の動物を土に埋めたとすると、衛生上の問題や土壌汚染の問題にもなるのだろうし、本当にどうにもならない困ったことだねと私達は話したのだった。また、折も折、今度は福島第一原発汚染水タンクから300tもの高濃度汚染水が海に流れ出たというニュースが聞こえてきた。これだって、海の底にいる小さな生き物が汚染され、それを大きな魚が食べ、またそれをもっと大きい魚が食べるという構造だから、もう魚は危険で食べられないということになるだろう。 鹿狼山にヤマユリが無くなり、私のささやかな季節の楽しみがなくなったのは、元はといえば原発事故によるものだ。まあ、私は趣味の範囲だから我慢もしようが、やはり鹿狼山の7月に大輪のヤマユリが無いのは寂しい話である。しかし、私達はこんなことでは次世代の子ども達に、安心で安全な食べ物を残してやることも、美しい自然を残してやることもできないのだとしみじみ思う。放射能汚染により生態系のバランスが崩れてしまった阿武隈の山々が元に戻る日はあるのだろうか。一度崩れたものを元に戻すことは難しいと思うが・・・。 (2013/09/06 記) |
8月18日(日)に実施された弥兵衛平湿原植生回復事業の第一回採種作業に参加してきました。30人を超える参加者があり、健脚班、標準班、ゆっくり班の3班に分かれての作業です。健脚班以外は、弥兵衛平湿原での採取作業ですが、健脚班は明月荘まで足を延ばしての採取作業で、さらに莚(むしろ)の荷揚げも加わります。私は、健脚班の作業に参加しました。 採種対象種はミヤマイヌノハナノヒゲ、ミカヅキグサ、ミヤマコウガイゼキショウ、ヌマガヤ、ミタケスゲですが、今年は開花が遅れたのか種子の充実が遅れ気味で、採種はミタケスゲとミカヅキグサが中心となりました。 莚は発芽後の霜害防止のために使用されます。霜害により播種してもほとんどの芽生えが枯死していたのですが、莚の被覆を実施してからは芽生えの生育が確保できるようになり、植生回復効果が向上しました。 |
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運んだ莚はブルーシートで被覆保管 |
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莚被覆処理無しの植生回復状況 |
莚被覆後の植生回復状況 |