コムラサキは生き残れるか   鎌田 和子

月の輪大橋の直下のヤナギ類が皆伐された光景(写真@)を目にするのが嫌で、ずうっとサイクリングロードの散歩を控えていました。でも、伐採を免れた木々の芽吹きはどんなかと心にかかり、4月の日曜日に阿武隈川の左岸を、月の輪大橋の上流へと足を伸ばしました。昨年まで、阿武隈川へ注ぐ蛭田川と八反田川までの河川敷にはエノキやハリエンジュがいい間隔に並び、蛭田川の水門から数えて五番目のクルミの木の根元にはコンロンソウの白い花が咲き、周りのハリエンジュの白いぼってりとした花房からは甘い香りが漂う、楽しみな散歩コースでした。

ところが、冬に樹木が伐採されたため、木々の間隔は大きくズレ、どこがコンロンソウの花がある場所か、すぐには分かりませんでした。それで、水門の辺りにもどって、残った木と伐採されたばかりの真新しい切り株を順に数えました。五番目の木の根元に、なんとコンロンソウが芽生えているではありませんか。ハリエンジュが切り倒されたときに踏みつけられたであろう地面から何本も芽を出していました。

 小さく白い花から弱々しいイメージを抱いていましたが、コンロンソウは強い植物でした。ホッとしながら歩を進めてまもなく、ふっと見通しのよくなった河川敷を見渡したところ、水辺に近いほうに青々した樹木(写真A)があることに気がつきました。えっ、常緑樹が!?河川敷に常緑樹を見たのは初めてです。そばに行って何の木か確かめなくてはと、踏み込みました。それはシラカシでした。よく見ると、倒れて根っこがむきだし状態(写真B)です。横倒しになっても枝葉は天に向かって青々と伸びています。どんな経路をたどって河原に生えたのでしょうか。もとは一個のシラカシのドングリ。寒風の荒ぶ河川敷に芽生え、何年も生きてきたシラカシ。すごいなあと思いました。ハリエンジュの大木がほとんど伐採されたために視界が開けて、これまで見えなかった常緑樹が見えるようになったのでしょうか。私が今までぼんやりだったのかもしれませんが、伐採後の河川敷の観察にもそれなりに新たな発見と感動が隠れていたことにちょっぴり救われた思いがしました。

しかし、河川敷から緑豊かな樹木が消えてしまったことは寂しいかぎりです。そして、何にもまして気がかりなのは、河川敷に生息していた生き物たちのことです。昨夏、月の輪大橋の歩道で出会ったコムラサキの命は果たして継承されるのでしょうか。コンロンソウやシラカシのようにたくましく生き残れるのでしょうか。後日、思い切って、月の輪大橋の下におりてみました。…伸び始めた草に見え隠れするヤナギの切り株(写真C)は、小さな生き物たちの墓標のように思えてなりません。

保全生態学専門の「鷲谷いづみ」さんは、蝶は環境の変化に敏感だから、ある生協と一緒に蝶の観察を進めていると、201014日の「生物多様性」の記事で述べていました。「蝶を観察すること」が「生物多様性の損失を食い止めること」にどう関わるのかまでは述べられていませんでした。でも今なら、月の輪大橋のヤナギを失った今なら、鷲谷いづみさんの地道な活動の意味がわかる気がします。私が思うに、蝶は環境の変化に敏感だからというのは、例えば、蝶が生息していた場所が破壊されれば、その蝶の食樹や食草が失われることになるでしょう。当然、蝶の個体数は激減し、ひいては絶滅につながることがあるかもしれません。鷲谷さんが「蝶の観察」を進める意図はそういう危機感を多くの人に共有してもらうことにあるのではないでしょうか。

私がたまたま手にした「自然保護」(2010.12月号)という冊子に、鷲谷いづみさんが「絶滅が抱える問題」の中で、生物が1種絶滅しただけでは、生態系や生態系サービスに大きな変化はないと思われるかもしれないけれど、決してそうではないのだと、説いています。ドミノ倒しのように絶滅の連鎖が起こる可能性と、それによって自然からの恵みが損なわれ、安全で心身ともに豊かな暮らしを続けることが難しくなると述べています。

 小さなコムラサキの命の継承を願ってアレコレ考えているうちに、大きな課題「生物多様性の損失の危機」を実感として捉えることができました。コムラサキは幼虫で越冬するそうなので、今夏、月の輪大橋でコムラサキに出会うことはもうないと思います。…でも、ひょっとして難を逃れた幼虫がいて…、いいえ無理です。幼虫の食樹のヤナギ類がないのです。それでもなお、もしやと期待しては打ち消し、打ち消しては期待し、羽化の季節のころには、月の輪大橋の上でコムラサキを探すことでしょう。(2010.4.30)

 

 
 @   ショック!ヤナギの皆伐  A河原にシラカシが! B横倒しになっても生きる  C墓標のような切り株

 

 

鹿狼山から  
13 鹿狼山で出会う人々     小幡 仁子

鹿狼山に登り始めてかれこれ10年近くなる。始めは海外登山の体力作りのためだった。そのころは40分の標準タイムを縮めようと、一度も休まずに登り、25分くらいで頂上にたどり着いて満足していた。しかし、ここ5年くらいは、体力も付けたいが、花を見たり、四季の移り変わりを感じたり、写真に撮ったりするのが好くて鹿狼山に通っている。こんな小さい山だけど思いの外、花や樹木の種類も多く、四季折々に変化があって感動的ですらある。そして、この山に登っていると、様々な人達に出会う。

昨年の秋に、ドライフラワーになったオトコエシの写真を撮っていたら「リョウゼントウキを知っているか?」と60歳台と思われる男性に声をかけられた。私は「ミヤマトウキとかイワテトウキなら知っていますが、リョウゼントウキは初めて聞きますけど、霊山(りょうぜん)の固有種か何かですか?」と聞き返した。「このあたりに結構あったんだがなあ、花が白くて花火みたいで・・・」ということはシシウドの仲間だ。と思い、記憶の中でもそれらしき物があったので、探しながら、一緒に歩くことになった。道々彼は自分の身の上話をした。

自分は宮城県のある団体の職員として40年ほど働いて定年を迎えた。仕事は安定していてそれなりの収入もあった。釣りが好きだったものだから、船を持ってこの辺りの海で魚釣りをして、釣った魚を料理して友達に振る舞って酒を飲むのが楽しみだった。仙台市内にマンションも買った。娘が二人いたが、妻に任せっきりで自分は遊んでばかりいた。そんなこんなしていたら、妻が病気になってしまい、それも助からない病で亡くなってしまった。全く、妻に先立たれた男ほど情けないものはない。娘達はそれぞれに相手ができて結婚し、家を出て行ってしまった。俺は一人になった。

ある時、マンションに一人で住むのがいたたまれない気持ちになって、もう二束三文で売り払って、この近くの海の見える町に引っ越してきた。町に馴染もうと思って、止せばいいのに体操クラブのようなものを作って、代表としてやっていたが、そのうちに自分が妙に周囲から浮いているのに気がついた。自分は町ではよそ者だったと思い知らされた。だから、今は体操クラブも辞めたし、ボランティアで行くのは小学校だけにしている。小学生に竹とんぼの作り方を教えたり、コマ回しを教えたりしている。俺の竹とんぼはよく飛ぶから人気があるのだ。

そして、長年の酒飲みが祟って、肝臓を悪くして手術もした。今ではもう酒を飲むこともなくなった。鹿狼山には去年40回くらい登った。手術したから昔ほどの体力はない。すぐ息が切れるが、それでも以前よりは楽に登れるようにはなってきた。山はいいなあ。誰に気兼ねもいらないし、ここから海を眺められるのがいいから・・・。最近、仙台の山の店で登山靴や羽毛服やストックも揃えたところだ。

こんな話を聞いている内に頂上下の休憩所まできてしまった。彼はザックを開けると、「鹿狼山登山記念スタンプカード」なる物を出した。見れば20枚位は持っているようだった。私にどうぞ使ってくださいと言って5枚ほどよこした。休憩所にあるスタンプを押すようになっていて、20回押すと1枚が一杯になるスタンプカードだった。私は地元に住んでいるのに、こんなカードがあるなんて全然知らなかった。

お昼時になって休憩所には人が沢山やってきた。彼がよその人と話し出したのを潮に、お礼を言って私は先に山を降りることにした。あんなにカードを持っているのだから、彼は時々、話を聞いてくれそうな人に声をかけては、スタンプカードをくれているのだろう。一人暮らしは孤独で人恋しいのかもしれない。まして、生活圏で自分の存在の不安があれば尚更と推察される。

鹿狼山にはたくさんの人が登る。一人で登っている中高年の男性も女性も多い。人はみんな歳を重ね老いていく。老いることは失うことだとも聞いている。伴侶を失い、健康を失い・・・。でも、それは自然なことだ。まだ山歩きができて、自分から相手を求めていけるだけ幸せなのではないか。鹿狼山で小さな幸せを探してほしいものだ。(2010/6/30

鹿狼山で語り合う

頂上から見える大海原