河川敷の自然破壊は何をもたらすのか  山内幹夫  

 

 

一昨年から気になっていた荒川の河川敷の自然破壊について昨年末調べてみた。上の写真はあづま公園橋から下流を見た様子であるが、工事により幅広い流路が造られ、流路幅は築堤間の幅の1/2以上。さらに右岸築堤は現在工事が進行中で、左岸河川敷は河畔林が皆伐されてしまった。かつて河畔林があった頃は、野鳥の宝庫であったが、昨年来この工事が始まってから野鳥の数が激減し、隣接する水林自然林においても野鳥の数が減っているとのことであった。下流のフルーツラインが通る日の倉橋下流も、福島キヤノン近くのさくら橋下流も、仁井田橋下流も、河川工事が終了し、流路が拡幅されて平坦になり、河川敷の植生も大半が失われ、人工的な河川の姿になってしまっている。水質日本一を誇った清流荒川も、ここまで生態系が破壊されると、河畔林植生をはじめとする生物多様性が回復するまでには数十年以上の年月を要すると思われる。今もなお、一寸張地区の上流では、大規模な砂防ダムが建設されている。

昨年の12月、「福島河川国道事務所は(12月)21日から、洪水時に阿武隈川の流れを妨げたり巡視の妨げとなっているカワヤナギやオニグルミなどの樹木の伐採希望者を募集する」という記事が新聞に掲載された。阿武隈川本流においても、河川敷の樹木を伐採する計画である。

渓畔林や河畔林は生態学的に重要な機能を持つ。北海道では、1990年代後半、札幌市を流れる豊平川における河畔林の伐採について、河畔林の環境上の意義を強調する人たちから強い批判が寄せられ、それを機会に河川管理者と市民の間で河畔林の管理と流木に関するワークショップが行われた。その結果、「河畔林は皆伐するべきではない。河畔林は、洪水の際の流木を捕捉する機能があり、水防上も役立つ。ただし流木は人手により管理することが必要(河川流域で流木が捕捉できなかったら、海に流れ出て、漁業や海岸環境にも悪影響を与える)。ヤナギの繁茂を間伐などにより抑制しつつ、より自然で多様な河畔林を再生するように努力すべきである。以上のことで、従来の河畔林管理と河川生態系保全という対立構造は解決できるのではないか。」以上のような結論を見いだすことができた。

これを見ても、福島河川国道事務所のやり方が、いかに短絡的かわかると思う。阿武隈川河畔林の伐採については、上記したような公開ワークショップもなされていないし、市民のコンセンサスも得られていない。今や、各地において、河畔林管理と河川生態系保全という対立構造の解決にむけた努力が進められており、それも、林業専門家や学識経験者を交えた本格的議論がなされている。

「森は海の恋人」(畠山重篤)という言葉があるが、落葉広葉樹の森の林床に堆積する腐葉土中でできた「フルボ酸鉄」が川の流れにより多く海に届き、植物プランクトンや海藻を豊かに育て、その結果、魚介類が豊かに育っている。森は海を育てている。その大動脈が河川である。その河川を破壊することは森と海を分断することになり、ひいては地球的規模の自然破壊につながる。現実に「磯焼け」という海の砂漠化が日本の沿岸で進行している。河口の干潟も水質浄化に不可欠のもので、森林環境、河川流域環境、河口干潟環境が守られて豊かな海が守られる。豊かな海の自然が守られてはじめて地球温暖化防止が可能となる。今後は、そのようなグローバルな視点での自然環境保護体制が求められよう。

 

 カンテンボウキノススメ       伊藤順子

 

初めてこの言葉を知ったのは、登山教室だったか、山の会の学習会だったか、、?「カンテンボウキ???」「棒寒天の事ではないよね、まさか??」・・・で、先生が黒板に大きく書いた文字は「観天望気」・・・思わず「先生っ!!字が逆です!違ってます!」と突っ込みそうになってあわやのところで止まって良かった、、^^;)大恥かくところだった、、、−−;)けど、「観望天気」なら、何となく私の少ない語彙集の中でも何とか了解できるけれど、この可笑しな言葉は何?!と半信半疑のまま講義を聴いて、やっと納得(^^)v つまり、これは漢文なのだ?!天を観て(空を観察して)気象を望む(天気を予想する)こと、、、。

 なんだ〜!それなら子供の頃からやってるよ♪地方によっても違うし、小さな誤差はあるけれど、「朝焼けは天気が悪い」とか「夕焼けなら明日は晴」とかの類、、?でも、山に入ってからの「観天望気」は、もう少しシビアで、天気図による予報よりも局地予報的には、かなり貢献度が高い。

 ご存知のように、日本の(北半球の?)上空には、いつも偏西風が吹いていて、ほぼ西から天気が変わることが多い。大型台風と言えども、この偏西風の影響を受けて微妙に曲折するのだから、、。

 山での行動に迷った時、先ず西の空を眺めてあと自分の五感を(六感も)働かせてみれば、結構的確な判断が出来る・・・ような気がする、、。ハイテクで便利な道具・最新の気象情報に事欠かない昨今だけど、何がなくとも、自分自身の五感を(六感も)働かせて、空を読み風と語り、転ばぬ先の杖にすることも可能かと?

 木を観て、森を観て、ついでに大気を観て、草の気持になり、木の立場を思い、生物多様性の一部でもある人間の気持ちもついでに考えてみようか?

 雲 伊藤順子

冬芽の表情        鎌田和子

 

今年の冬は、10数年前に夢中になった冬芽観察の再燃というか、蝶のいない季節のしのぎに、河川敷の樹木やよその家の庭木の冬芽観察を楽しみました。以前は、冬芽(葉痕)が動物の顔に似てるのがおもしろくて、ただただ探し歩き、種類をたくさん観ることに熱中しました。

今回は観察のポイントが少し変化したような…。例えば、クズの葉痕は古代人の顔としか思っていませんでしたが、その古代人にもいろいろな表情があることに気がつきました。そのひとつが写真@。「エジプトの王妃」と名付けました。これを友人のMさんに写メールしたところ、「王妃の後ろのツルが腕のように見えるね。右手を大木に、左手を腰にあてて、チョッピリしなをつけてますね。」の返信。かつて、「高山の原生林を守る会」の冬芽観察をきっかけに冬芽(葉痕)に夢中になった仲間の観察力は、さすがだと思いました。彼女の感性豊かな解釈に、私の楽しみは何倍にも膨れ上がりました。このほかに、「石仏」や「かぐや姫」、「勇者」(写真A)、「即身成仏」、「ミスワールド」など、名付けて愉しみました。雪が降ったりすると、河原のクズ人たちはどうなったかと気になって、ちょっと覗いてみました。意外とシャキッとしていました。風雪にもへっちゃら顔。それもそのはず、クズは木本だったのです。なぜかずっと私はクズを草本だと思っていました…。

それから、「変わった冬芽」との出会いもありました。クルミの木の枝先にこんな冬芽が!アレっ?と思いました。クルミなら羊の顔のはず。なのに写真Bは『ボクサー』みたいに手を挙げてます。その下のは『シュワッチ』って飛んでいきそうな格好に見えます。珍しい光景でした。夕暮れどきで、どんどん暗くなり、この写真を撮るのがやっとでした。「ウルトラマン」も「ボクサー」も不鮮明なのが残念です…。図鑑で調べると、雄花序の花芽のようですが、この時期にクルミのこんな花芽を観たのは初めてです。佐藤守さんからの回答は「オニグルミの冬芽で間違いないと思います。昨年は暖かかったので一旦生長が止まった葉芽が再伸長し、花芽を分化したのではないでしょうか。」ということでした。なるほど!そういうことなのかと納得しました。

さらに、驚いたのは「薔薇の花」との出会い。それは「自然の神秘」としか言いようがありません。キササゲの仮頂芽の冬芽が『薔薇』そっくりなのです。それは公園の側溝の隙間に生えた、私の背丈くらいの木を観察したときのことです。葉が落ちてしまっても枝には長い果実が下がっていましたから、すぐ「キササゲだ」と分かりました。キササゲの冬芽はまだ観たことがありません。それでちょっと覗いてみたのです。ルーペで葉痕を覗くと、私は「顔」を探してしまいます。が、丸い顔に目鼻はなくて、頭にギザギザの冠がちょこっと載っていました。今まで観たことのないギザギザ形の冬芽です。それに白いものが付いています。ギザギザだからゴミがひっかかったのかなと思いながら、ついでだからと枝の先っぽの冬芽(何かごちゃごちゃ付いているの)を覗きました。

するとルーペの中に三個の「薔薇の花」が輪になって咲いているではありませんか!真上から観ているためか、側芽のようなギザギザはありません。見事な薔薇でした。私は、ルーペの世界の「自然の造形の美」をもう一度観たくて、翌日、また出かけました。そして、その「自然の不思議」を誰かに伝えたい衝動に駆られたのでした。

冬の日の身近なところの、ささやかな観察にも、心が躍るような発見や感動が潜んでいたことに感謝したい気持ちです。それぞれの木々の冬芽が膨らむのもそう遠くはないでしょう。これから「ウルトラマン」の花芽が、「クズの勇者」が、どう変化していくのでしょうか。その過程を観るのが楽しみです。もっともそれは河川敷の樹木の伐採がなければのことですが…。(2010.1.17)

勇者

エジプトの王妃

ボクサー

 

鹿狼山から  
12 春の訪れ     小幡 仁子

雪があるうちは山スキーが忙しく、どうしても鹿狼山の方はお留守になってしまう。先日、箕輪の迷沢周辺を山スキーで歩いていたら、蕾の先が黄色い、咲き初めたばかりのマンサクに出会った。そうだった、鹿狼山のマンサクを今年はまだ見ていなかったと思い出した。鹿狼山のマンサクは、いつもは2月の中旬頃に咲く。登山道に覆いかぶさるように大きな枝を伸ばしている。マンサクというだけあって春の訪れを告げる花である。これは大木にはならないらしく、どこの山に行っても、それほど大きいものに出会わないできた。それで、私の中では鹿狼山のマンサクの木が一番大きくて立派である。

さて、3月10日に相馬では珍しく大雪が降り、土曜日になってもまだ雪が残っていた。マンサクはどうだろうかと鹿狼山に登ってみることにした。登山道は周回コースになっている。その日の気分で右回り、左回りを決めている。今日はマンサクに近い左回りにする。どちらから登っても観察する樹木はほぼ決まっている。左周りの時はまずウリノキだ。ウリノキの冬芽は茶色の毛で覆われていた。ルーペで覗くと、さながらゴリラの頭部といったところか。次はイヌブナを見ようと思って、イヌブナに近づいたら、手前の細い枝についている赤い冬芽が眼に入った。あれっ、この赤くて小人さんの帽子のような冬芽はネジキじゃないか!鹿狼山にネジキがあったんだ!やっぱり、と新たな発見がうれしい。というより、どうして今まで気がつかなかったのだろう。見ているようで見ていないのが、私の目である。昨年12月に浪江町・八丈石山に登った時も、ネジキがたくさんあった。そのときに、ここにあるなら、鹿狼山にもあるんじゃないかと思った。見つけることができて良かったと、宿題が終わったような気分になった。

ところで、イヌブナの方はまだしっかりと芽鱗に包まれていた。ブナの冬芽とそっくりだが、こちらのほうが一回り大きいし、形状が細長い。これも4月も20日を過ぎた頃には芽鱗を落として、白い毛に覆われた素敵な若葉が生まれて来る。シデ類やカエデ・モミジ類の若葉が光に透かされて輝くのも間もなくである。

東屋を過ぎて右手の沢を覗いたら、オオバジャノヒゲと枯葉の間からカタクリが遠慮がちに葉っぱを1枚出していた。おお〜、今年もこんにちは。地面が雪に覆われているからまだかなと思ったら、やはり、いつもと同じ頃に出てきている。来週は二枚目の葉っぱに包まれながら花がお目見えするかもしれない。今月末にはかわいい花が見られることだろう。

さて、お目当てのマンサクの木にたどり着いた。登山道の上方高くに伸びているため、登山者にもあまり気づかれない。まだ、黄色い花が付いていた。盛りは疾うに過ぎていて、終わりかけの3部咲きといったところだ。写真を撮ってみたが遠すぎてイマイチである。

 4月になれば、鹿狼山にはカタクリの他にも色々な花が咲き出し、春爛漫となる。私は山スキーの冬と、鹿狼山の春を行ったり来たりするので、ますます忙しい。(2010/03/20 

イヌブナの冬芽

芽鱗を落とすイヌブナの若葉

カタクリの葉っぱ

カタクリとキクザキイチゲ