スダジイ 鎌田和子 |
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「シイは花の付き方がカシ類と違うらしい。それを確かめたい。間近に手で触れて確認したい。」これは4月に「宮崎県綾町の照葉樹林の観察」で得た『私の宿題』です。
宮崎からの帰りの飛行機の中で、ひとつ隣の席に座っていたツアーリーダーに感想を話す機会がありました。そのとき、帰ったらすぐにやりたいことを二つあげたのです。一つは、シイとカシ類の花の付き方を、図鑑「樹に咲く花」で確認すること。もう一つは、実際にシイの花を間近に観察すること。「…幸い福島のスダジイの花はこれからでしょうから、もう一度確かめることが…」などと、さもスダジイのありかを知っているかのように語ったのでした。そのとき、ふっと、思い出したのです。昨年、友人と杉妻会館の前の通りを歩いていたとき、クリの花の匂いがしてきました。それで私は「この匂い、クリの花の香りよ。」と得意げに言ったのはいいけれど、辺りにクリの木が見当たらなくて困惑したのでした。あれはもしかすると、シイの花が匂っていたのかもしれない、とすれば、杉妻会館の裏手にシイの木があるのかもしれない。ぜひ確かめなくてはと思ったのでした。
こうして、スダジイ探しが始まりました。以前、テルサ健康クラブの帰りに、Mさんが、「スダジイ(ツブラジイ?) を知っていますか。県庁にあるのですよ。」とおっしゃった言葉を手がかりに、まず、県庁周辺に的を絞って探すことにしました。4月の末に県庁の「紅葉山公園」の樹木を丁寧に観て歩きました。が、スダジイらしきものは見つかりません。代わりに、エノキに産卵しているヒオドシチョウを観察できました。それはそれで収穫なのですが…。皮肉なものだと苦笑いしました。そこでハッと思いました。スダジイ探しは慌てなくていい、花が咲くまで待って『匂い』で探し当てれば簡単なことではないかと。
そうこうしているうちに、人づてに「スダジイは県庁公社の塀の中にあって…、市役所の周りにもスダジイがいっぱいある…」とMさんが話していたと聞き、観察ポイントを市役所に移しました。そして、市役所を訪れ、ついに花芽の付いたスダジイの木を(写真@)見つけました。5月7日のことでした。花芽は上向きに伸びています。なるほど!昨年観察した稲荷神社のアラカシの花とは違う。アラカシの花は垂れていました…。その1週間後、花が咲いたかと期待して観に行きました。が、大きな変化はありません。いつ咲くの?いつ咲くの?毎日気になってなりません。そうして、さらに1週間後の5月20日、今日こそはと行ってみました。すると、待ちに待ったスダジイの花が開花(写真A)していました。クリーム色の細いしべだけが枝にくっついているような、まるで繊細な瓶ブラシのような花の小枝は天を指している。どれどれ、匂いは?…うん、クリの花の香りがする! さあ、こうなれば、杉妻会館前の通りで嗅いだ昨年の香りの正体を確かめることができます。
2日後、福島駅から、昨年と同じ道を歩いて杉妻会館に向かいました。すると、ほぼ同じ場所にさしかかると匂ってきました。シイの花の香りです!あの綾の大吊り橋のたもとで嗅いだシイの花の香りと同じです。そのスダジイの樹は県庁西庁舎の裏手(写真B)にありました。モミジの高木などが枝葉を伸ばし、庭園の名残をとどめていますから、かつて植栽されたものなのでしょう。木の根元に立って見上げると、西側の落葉樹の高木がスダジイに覆いかぶさっているように感じます。どのくらい年数を経た木々なのか、私には分かりませんが、そこに入った感じは薄暗く湿っていて綾の照葉樹林の中と変わらないと一瞬思いました。スダジイの幹は日の光を求めて枝葉を南側に伸ばしつづけて、傾げて(写真C)しまったのでしょうか。そうして、季節には花を咲かせ、虫を呼ぶ匂いを発してきたのでしょう。その命の継承の営みに胸をつかれました。奇しくも、その日は宮崎の綾の照葉樹林観察からちょうど1か月経っていました。
秋、シイの果実の観察に出かけました。市役所には12本のスダジイがありますが、果実を付けたの(写真D)は2、3本だけのようでした。県庁公社のスダジイは、見上げると幾つか果実が付いていましたが、地面はきれいに掃かれてシイの実はありません…。最後に西庁舎裏のスダジイの木の下へまわりました。そこにはたくさんの果実が落ちていました。成熟できなかった果実の付いた枝(写真E)もいっぱい落ちていました。それを見ると、昨年アカラカシ観察の際に感じたのと同じせつない気持ちになりました。でも、シイの実は食べる楽しみのおまけが付いています。いつのまにか私は貪欲にシイの実を拾っていました。
ブナの実はクルミの味がしますが、シイの実はクリに似た味がすることを今回知りました。このシイの実を、縄文人は生のまま食べたのでしょうか。保存はどんなふうにしたのでしょう。シイの実のほのかな甘みを味わいつつ縄文人の生活に思いを馳せ、スダジイ観察を締めたのでした。(2009年11月10日) |
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@ スダジイの花 |
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A 天を指すシイの花 |
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B 西庁舎裏のスダジイ |
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C 南側に枝を伸ばしたスダジイ |
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D スダジイの果実 |
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E未熟なままの果実 |
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鹿狼山から |
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今年も早いもので年の暮れとなり、間もなく2010年を迎える。鹿狼山からは大海原がよく見えるから、元旦に初日の出を拝もうとたくさんの人が登りに来る。12月号の広報「しんち」にも山頂で大勢の人がバンザイをしている写真が載っていた。毎年2000人近くの人が山頂で、今か今かと日の出を待っていると書いてあった。新地町の人口は約8500人だから2000人というのはすごい数である。私は鹿狼山から初日の出を見てみたいという気持ちはあるが、あまりの混雑は避けたいので、お昼過ぎに行くのが常である。
ところで、我が家から鹿狼山はよく見えるのだが、大晦日の晩には鹿狼山の「樹海コース」沿いに明かりがずっと列になっているのが分かる。これは新地町に「鹿狼山元日登山実行委員会」というのがあって、鹿狼山の麓の杉目地区が中心になり、元日登山のお世話をしているのである。一昨年の暮れにいつものように鹿狼山に登っていたら、下からキャタピラの付いた箱形の機械が上がってきた。これにロープを付けて男性4,5人がつかまりながら歩いていた。機械に引っ張ってもらいながら登っているので、「ずいぶん楽チンしていますね。これで何をするんですか」と聞いたら、「これは発電機で、元旦登山の時に、山頂や登山道沿いに灯りを付けるのだ」という答えだった。発電機は自力で登るが、灯りを竿や木に付けて行く作業は、かなり大変だろうと思われた。登山者の安全を考えてのことであろうが、年末の忙しいときに誰がやっているのだろうか。
鹿狼山には、元日だけでなく、石段には落ち葉掃きをした跡があり、雨が降った後には登山道にたまった水を抜く作業をした跡などがある。人がたくさん登るからゴミなどが落ちていてもおかしくないが、見たことがない。最近の登山者のマナーもいいのだろうが、きっと、登りながらゴミ拾いをしたり、登山者が登りやすいように掃除している人がいるのだと思う。もちろん、私もゴミが落ちていれば必ず拾うけれど・・・。鹿狼山は人の気遣いが感じられる山である。
先日、阿武隈山系のとある里山を登ったが、祠の中の石像がなくなっていたり、壊れたりしていた。人災ではないかと思われるふしがあった。先週の日曜日、気になって鹿狼山の石仏や祠をよくよく見たが、何ともなかったのでほっとした。風雨に晒されて、長い年月の中で自然に壊れていくのが道理である。祠も石仏も、昔の人が何か祈りを込めて置いたものであるから、大切にされなくてはならない。苔むした祠に新しい注連縄が張られていたり、お供えがあったりすると心温まる。あの山は地域の過疎化が進み、あまり世話をする人がいないということなのか。それにしても地元の人は悲しんでいることだろう。 鹿狼山は、頂上に大きな記念碑があったり、神社も休憩所も立派だし、これ以上の建造物はいらないが、少なくとも地域の人々から守られ、大切にされていると思う。私も、来年元旦には鹿狼山に登り、良い年であるようにとお参りしてくるつもりである。(2009/12/19) |
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石仏の祠 |
祠の石仏が盗掘された |
灯りがたくさん付けられる |
山頂の鹿狼山神社 |
2009年11月29日(日) 場所 福島市立子山自然の家 |
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2009年活動報告 |
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会則改正 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
会の歴史と今後を鑑み、創立時の会則を見直し、事業、役員の役割等、不足部分を加えて改正しました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2009年会計報告書(11月21日現在) |
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2009年自然観察会計画 |
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このたび、代表を務めさせていただくことになりました。私は設立当初から、会計や会報編集担当として、会運営に携わってきましたが、代表の任に当たることになるとは思いもよらぬことです。
「高山の原生林を守る会」は1987年設立ですので、2010年で24年目に当ります。ブナの24年はまだ幹径20cm足らずの若木ですが、人間の世界では10年ひと昔と言われますから、ふた昔も経過したことになります。高山スキー場反対運動に始まり、森林生態系保護地域設定のために藪漕ぎをしながら、山の踏査に明け暮れた頃は、職場では自然保護の話をするだけで、変人扱いされるのが当たり前でした。労働組合に従事するのは良くても市民運動に参加する人間は煙たがられていたのです。今は、市町村、県、国を挙げて森林生態系保護や遺伝的多様性の尊重などと喧しく、まるで自然保護に携わっている人間は、これからの時代を切り開く変革者のように祭り上げられるようになりました。しかし、相変わらず森は切り開かれ、立派な舗装道路ができたり、山のてっぺんには意味不明な構造物や記念碑が建てられたりしています。私自身の感覚では、行政の自然保護に対する姿勢は24年前とほとんど変わっていないように思います。それは、法制度は整備されたようでも、肝心のそれに係る担当者がその場しのぎで、全く自然を理解していないからだと私は考えています。
話は変わりますが、私がなぜ、長くこの会に係ってきたかについて少し説明したいと思います。私は、24年前までは社会人山岳会で登山に明け暮れる毎日を送っていました。夏は、県内の1500m以上のあちこちの山の沢登りをしました。数を重ねるうちに無意識のうちに沢にその山の現状が端的に現れると言うことを感じるようになりました。沢床や渓谷の両岸に現れるさまざまな表情でその山のあり様が理解できるのです。そんな中、異様な光景として、強く印象に残った沢がありました。帝釈山の細木沢です。沢に下りて遡行を始めると間もなく流木が目に付くようになり、沢を詰めていくと水が切れ、源頭と思しきところまでたどり着いた時、その光景に息を飲みました。山の斜面全体が崩壊し、細かい礫交じりの土砂で覆われていたのです。山での樹の大量伐採が何をもたらすかを実感した思いでした。私が「高山の原生林を守る会」に積極的に参加したのはその経験があったからです。その後、高山の的場川の調査で、的場川に過去の大出水の痕跡が残されているすざましい状況を目の当たりにして、細木沢で抱いた感覚に確信を持つに至りました。登山が私の自然保護の原点であり、それは今も、これからも変わらないと思います。
スキー場問題が一段落し、会は観察会を中心に事業を展開するようになりました。当時の私は、観察会というものが良く理解できず、ついて歩く状態でしたが、回を重ねるにつれ、森や植物の表情が見えるようになり、自然生態系の仕組みや営みに対する畏敬の念が芽生えてきました。24年を経た私が感じているのは、日常的に自然に係ることでしか理解できない森の営みや価値があるのではないかと言うことです。自然保護にとって『森を知る』ことはとても重要なことです。また、森を歩いて湧き上がる自然に対する感情は、その人にしか感じられないもので、『森と人間個々人が1対1の関係にある』のだと思います。100人いれば100人の自然保護の感覚があるのであり、それがうまく編みあがった時に、大きな自然保護のうねりとなるのだと思います。知識や技術ではなく、『人間の感性』が自然保護の確かな力になるのだと思います。知識や技術は感性があって初めて活かされるものと考えています。
幸いにして、この会の観察会は100回を超えるまでになりました。県内では、このように長い間、山を中心とした自然観察会を継続している団体はないと思います。その活動は地味であり、時代の寵児となるものでもありませんが、観察会への参加を契機として森に興味を持つ人間が1人でも増えることがあれば、とても嬉しいことです。これからも積み上げてきた観察会を中心に会の事業を展開していきたいと考えます。改めて説明するまでもないと思いますが、山野草愛好会のように植物を採種して歩く、趣味の会ではありませんので、ご理解を。
最後になりますが、この会の成立は、高山スキー場建設という政策に対してはっきりとノーという姿勢をとったことが原点であることは、事実として忘れてはならないと考えます。それは、この会では社会性を持ちつつも、行政とは一定の距離感を持ち続けることの重要性を意味していると考えます。森林行政とは営業利益を共有しないアマチュアでいることが、自然保護行政の進歩を実現するものと考えます。アマチュアであっても行政を動かす確かな力となるのは、森の踏査による発見の積み重ねだと考えます。観察会は踏査ではありませんが、そこで得られた発見の蓄積は大きな財産になると考えます。
会の代表として、これから何年務まるのか、不安なものがありますが、見せかけだけの自然保護の流れに対して、細いながらもしっかりした竿となれればと思っております。また、培われてきたこの会独特の暖かい空気を大切にしていきたいと思っております。会員の皆さんのご協力を心からお願いしまして挨拶とさせていただきます。 (2009年12月24日)
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* カタクリの会は西和賀町で、自然観察会開催を目的とした会です。 * 会則、会費はなく誰でも自由に参加できますが、各観察会の一ケ月前から電話でのみ受付です。 * カタクリ通信を偶数月に発行いたしており、希望者には年間千円で送付致します。 (郵便振込みをご利用ください…02350-5-38765加人者名…カタクリの会) 連絡先:郵便番号029-5512和賀郡西和賀町川尻41-72-15
電話&FAX0197(82)3601代表:瀬川強 |