風景印の旅(5)アカガシ樹群        鎌田和子

 20081123日に念願の大聖寺のアカガシを訪ねることができました。 20083月に兄が送ってくれた浪江町幾世橋郵便局の風景印。その風景印の図案に「県指定の天然記念物・アカガシ」が入っていたことから、「風景印の旅」と称する「照葉樹観察の旅」が始まったのです。私を照葉樹に目覚めさた記念の「アカガシ」を訪ねるまでに、9か月の月日が経ってしまいました。その間に、福島市平野の医王寺の「シラカシ」を訪ねたり、磐城太田の多珂神社に迷い込み、図らずも「ウラジロガシ」を観察したり、さらに、福島市稲荷神社に「アラカシ」の樹があることに気づき、ドングリが成るか成らないかを半年間かけて観察したりと、「照葉樹観察の旅」を続けてはいたのでした。
 さて、「大聖寺の天然記念物のアカガシ」を訪ねるまでの、そのアカガシのイメージは、「境内に、常緑の葉を茂らせている巨樹が一本。その木の根元には、ビロードのような風合いの殻斗と褐色のドングリがいっぱい落ちている、ごくふつうのお寺の光景」でした。ところが、兄の案内でたどり着いた大聖寺は、小高いところに位置し、青々と茂ったたくさんの常緑樹に囲まれていたのです。境内には、唯一、モミジが色よく紅葉し、季節を表していましたが、一瞬、今の季節は?と疑うほどに常緑樹がうっそうと立ち並んでいました。私の想像をはるかに超えたたくさんのアカガシを、どこから観察すればいいのか、オロオロ…。まずは看板を読むことにしました。看板の標題は、「大聖寺のアカガシ樹群」となっています。確かに「樹群」に違いありません。胸高直径が40センチメートル以上の大木が39本、それ以下のものが4本。すごい数だと私は思いました。山門の西には、直径が188センチメートルと、176センチメートルの二本の巨樹があると説明は続いています。これらの大木群はほぼ自然の状態を保っているということです。
 なぜ、こんなにたくさんのアカガシが「大聖寺の敷地内」に生育しているのでしょう。第一の疑問を抱えながら、看板の説明を読み終えると、例によって殻斗とドングリを拾いました。アカガシの本数のわりには殻斗やドングリの数が少ないと思いました。もっともアカガシは斜面に生えているのですから、全部が境内に落ちはしないでしょう。それにしても、寺の住人がきれいに掃いてしまうのだとしたら、これほどたくさんの大木が落とすであろう堅果や落ち葉を掃くのは大変でしょうと、兄嫁と一緒に感心するのでした。兄嫁は知人の屋敷内にあるアカガシのほうが殻斗が大きいし、ドングリもいっぱい落ちていると言います。古木になるとドングリは小さくなるのかなあ。そう言えば、医王寺のシラカシの古木のドングリは丸くて小さかったことを思い出しました。個体差なのかなあ、樹齢と関係があるのかなあ。それにしても、いったい、ここのアカガシの樹齢はどのくらいのものなのでしょうか。二つめの疑問です。 先ごろ、アラカシの冬芽を見たばかり。それで、アカガシの冬芽も見てみたいと、あっちの木、こっちの木と探しました。低く垂れた枝先の茎葉の基部を、背伸びして覗いてみるのですが、冬芽はついていません。「アカガシに冬芽はないのかしら?そんなはずないのに…。」と半ば諦めて、兄たちの待つ駐車場に向かって歩き出しました。すると、「私を見て!」と言わんばかりに大きく膨らんだ冬芽が目に飛び込んできました。「あった!」と歓声。そこで観たアカガシの冬芽には網の目のような模様がありました。着物の襟元の合わせ目が幾つも重なっているようにも見えます。アラカシの冬芽とは違うなと感じました。アラカシのは全体が緑色という印象でした。
 ほかにももっと観察したいことが残っているような思いを抱きながら大聖寺をあとにしました。帰途の車の中で、見事な「アカガシ樹群」を観察できた満足感に浸りながら、天然記念物の看板の説明の、最後の一行「…学術的にも貴重なものである。」が気になってきました。「学術的にとは?…どう貴重だというの?…。」と、知りたいこと、確かめねばならないことが湧いてくるのでした(2008.11.24)

 

鹿狼山から  
9 鹿狼山のヤマユリ      小幡 仁子

 7月末になると鹿狼山の登山道のあちこちにヤマユリの花が咲く。この花は、本当に自生種とは思えないくらい豪華で華麗で美しい。この花を、香りがキツクて・・・と敬遠する向きもあるが、鹿狼山に通う者としては自慢にしたい花の一つである。いつか何かの本でヨーロッパアルプスの広大な花畑は美しいが、「日本のヤマユリのように大きくて華麗な花はない」と書いてあるのを読んだことがある。そういえば以前、ヨーロッパアルプスをハイキングしたときもユリ科と思われるような大きい花はなかった。もっともヤマユリは鹿狼山のような標高の低い里山に、半日陰のような所を好んで咲くのだから、アルプスのように標高の高い所にないのは当然のことだろう。 さて、今日はヤマユリのつぼみがどのくらい大きくなったかを確かめに行くことにした。というよりも、最近ヤマユリの花が少なくなったような気がして、特に、頂上の杉木立にあるヤマユリは、花が6個付いていて見事であったから、あの株は残っているだろうかと気になったのである。あれは3年前の霧の日だったが、いつものように鹿狼山に登っていてこの大輪のヤマユリに出会った。霧の中で佇む風情が花の精のようで、ぞくっとする程美しかった。それ以来ヤマユリといえば、この日の霧の中のヤマユリを想うのである。
 この株はどれであったかと写真を元に探してみた。それらしい株はあるにはあったが、つぼみが5個しか付いていない。ふ〜む、別物か、やっぱり。ユリは年数がたつにつれて、花数は多くなるはずである。あんなに立派に咲いていたから、また持って行かれてしまったのかな?葉っぱだってもっと沢山あったしなあ。もう霧の中であの風情のある姿を見ることはできないのか!そう思うと寂しいような腹立たしいような、何ともやるせない気持ちになった。山にある物はそのまま山においてほしいものである。

霧の中のヤマユリは一期一会

 

 

吾妻連峰の植生回復ボランテアのお知らせ

吾妻山にある弥兵衛平の湿地植生回復作業(主催:米沢ネーチャーフロント)

参加申込先:0238-38-4201090-2953-0366(白壁)e-mail somabito@amber.plala.or.jp

編集後記

トムラウシ岳での中高年ツアー登山の遭難事故ニュースには驚いた。20mを超える風速での強行。スケジュール優先の判断だったのだろうか。単にスケジュール優先では片付けられない事情があったのかもしれない。いずれにしても山には人間社会の事情など通用しない現実があることをもっと知るべきだと思う。我々も教訓にせねば(M.S.記)。