ウマノスズクサの招き        鎌田和子

 2008年の夏、ウマノスズクサを偶然見つけてから、私の観察の対象は「蝶」に移ってしまった感じです。ここ数年は、自宅近くの植物観察のみに甘んじなければならない生活を強いられていましたが、それにも行き詰まりを感じ始めていた矢先でしたので、「蝶の世界」はこの上なく新鮮なものに感じられるのでした。いつ出会えるかわからない蝶を、自分が追いかけるようになろうなど、考えてもみなかったことです。

思えば、ウマノスズクサという植物がジャコウアゲハの食草だと知ったのは20数年前のこと。家を新築したときのカーテン屋さんが、優雅に舞うジャコウアゲハをビデオカメラで撮影し、楽しまれているという話の中に、ウマノスズクサという植物の名前が出てきたのでした。その響きのいい植物名は私の脳裏に焼き付いていたのでしょう。昨年、阿武隈川のサイクリングロードで偶然カーテン屋さんに出会ったとき、ウマノスズクサのありかを尋ねたほどですから。彼の話によると、ウマノスズクサは摺上川が阿武隈川に注ぎ込むところより少し下流の、水門の辺りに生えていたけれど、重機の草刈りが入るようになってから消えてしまったようなのだと、残念そうに話していました。それで、もうここにはウマノスズクサは無いのだと思っていたのでした。

ところが、オオマツヨイグサを探しに、普段はほとんど歩かないコースに足を向けたところ、図鑑でしか見たことのないウマノスズクサ(写真@)に出会ったというわけです。それは、カーテン屋さんが教えてくれた水門の対岸にありました。すぐにカーテン屋さんに連絡しました。すると、彼は蛹で越冬したジャコウアゲハが羽化し、成虫となったのが、ウマノスズクサに卵を産みつけているかもしれないと言うのです。ワクワクしてきました。翌朝、涼しいうちに自転車を走らせ、ウマノスズクサの葉裏を観察しました。卵、卵と、卵だけをイメージして探しました。と、黒っぽい虫がウマノスズクサの葉を食べています!ジャコウアゲハの幼虫に違いありません。これで今夏は優雅に飛び交うジャコウアゲハを見ることができるはず。

その夜、久しく会わなかった「虫の好きな友人」に、電話でジャコウアゲハの幼虫を見つけたことを伝えました。翌朝、彼女はやってきました。アレコレ話しながら、二人でウマノスズクサの葉裏を返す行動を開始しました。ジャコウアゲハの卵はアゲハやキアゲハとは違うらしいと聞いて、二人とも大いに興味があるのです。幼虫は目につくのですが、卵は見つかりません。そうこうしていると、細い草にジャコウアゲハの幼虫が張りついて(写真A)いるのが目にとまりました。前蛹というスタイルです。こんな人目につくところで、こんな弱々しい草に、蛹になろうとしているなんて!心配です。彼女いわく「蛹になる場所を探したのでしょうね。でも適当なところが見つからなくてどうにもしようがなくって…」と。堤防の道端なので木はありません。せいぜいイタドリの茎くらいかな、丈夫そうなのは…。その後、彼女はウマノスズクサに花芽がついているのを見つけました。これが花芽なのか!早く咲くといいな、いつ咲くのかなと、小さな花芽をケータイのカメラにおさめていると、中学駅伝の朝練の生徒たちが走ってきました。なぜか、先ほどの「前蛹」が気になり、行って見ると、前蛹がありません。細い葉には黒く縮んだ脱皮殻がついているだけでした。えっ、いつのまに蛹になったの?…でも蛹が無い!…すると、友人は落ち着払って「蛹が落ちてしまったのではないのかな。ほら、そこに落ちてますよ」と言うのです。「どれ?どこ?」と慌てる私。後から分かったことですが、蛹になろうとして足場糸をかけるのだけれど、草がホニョホニョしているから十分に体に巻きつけられなかったのでしょう。脱皮した途端、糸がはずれて落ちてしまったものと思われます。ジャコウアゲハの蛹は「黄色」でした。拾い上げた「黄色い蛹」をどうするか、迷い、考えた末に、彼女が面倒をみようということになりました。その「お菊虫」の後日談については長くなるので、今はやめます。

そんなことがあって、ジャコウアゲハの幼虫の生長を観察することになったのでした。度々その場所に通い、ウマノスズクサの花(写真B)の色や形、内側に滑らかに向いた毛(虫が一度入り込むと二度と出られなくなるらしい仕掛け)を感心して眺めている私のそばに、いつのまにか「蝶」が止まっていることがあります。その蝶たちは、草むらの花に吸蜜に寄ってくる蝶であったり、お日さまのぬくもりを翅に受けて休息している蝶であったりすることは自然に理解できました。その場に立っているだけで蝶が寄ってくるなんて、思いもしないことでした。止まって翅を開いたり閉じたりしている蝶を、ケ−タイのカメラで撮ってみました。カチャッという音に反応して逃げていってしまうのもいましたが、朝陽のぬくもりをゆったり浴びている蝶(写真C)や、蜜を吸うことに夢中の蝶がいて、1、2枚撮ることができました。帰ってから図鑑で蝶の名前を調べるのですが、蝶はアゲハとキアゲハくらいしか分かりませんから、図鑑の総めくり法で調べることになります。やっとのことでヒメアカタテハの頁にたどりつきました。でも、アカタテハというのにも似ていて、さあ、どっちかなと迷ってしまいました。自分の撮った写真の蝶と図鑑の蝶をじ−っと見比べると、後ろばねの模様がヒメアカタテハとぴったり合うこと。アカタテハと似てはいるけれど、アカタテハとは違うことが確認できました。そうか、蝶も植物も同じなのか!スミレの勉強を始めたときのように、出会った個体を図鑑の総めくり法で調べ、似ているものがあるときは、よ−く観察して識別のポイントを見つければいいことに気がつきました。

そんなふうにして、「蝶を追う」日々が始まったのです。そうしたら、今まで気にもとめなかった蝶が見えてくるから不思議です。自分の家の庭に、散歩道のサイクリングロードに、身近なところに数種類もの蝶(写真DEF)が生息していました。毎日ちょっとの時間を見つけては、今日はこっちを、明日はあっちへと、蝶との出会いを求めて歩く楽しみを覚えたのです。同時に、小さな「蝶」が生きる「自然環境」について考えさせられることにもなりました。それは「自然と人間」との関わりを切実に考えさせられることでした。

今は冬。蝶の姿を見かけることはありません。春になると、また蝶が舞うでしょう。でも、一抹の不安を覚えます。重機による草刈り以後、ぱったり姿を消してしまったヒメウラナミジャノメが、果たして季節の到来とともに出現するのでしょうか。成虫で越冬するというキタテハ(写真G)やアカタテハ(写真H)は阿武隈川の河川敷のどこに潜んでいるのでしょう。無事に越冬に成功するのでしょうか。気になるところです。小さな蝶が生きていける環境こそ、人間にとっても快適な環境なのだと、ある本で読みました。本当にそのとおりなのだと思います。そういう環境を維持するために、自分に「何か」できることはないものでしょうか。蝶が再び出現する春を待ちながら考えてみたいと思います。  (2008.12.14)

@ ウマノスズクサ

A もうすぐ蛹に

B ウマノスズクサの花

C ヒメアカタテハ

D ベニシジミ

Eツバメシジミ

Fヒメウラナミジャノメ

G キタテハ

H アカタテハ

 

鹿狼山から  
8 鹿狼山の小鳥たち      小幡 仁子

冬の阿武隈は小鳥たちの天国である。鹿狼山にもたくさんの小鳥たちがやってきて、葉をすっかり落としたコナラやイヌブナの枝に止まるので姿が確認できるようになる。いつの観察会であったか、会代表の高橋さんが、「今日は○種類の鳥がいましたね。○○と××と・・・」というのを聞いて驚いた覚えがある。自分には小鳥の姿は見えなかったし、鳴声を聞いてもさっぱり分からなかったからだ。町の図書館に小鳥の本があって、CDが付いていたので毎晩寝る前に聞いてみたが、小鳥の囀りはあまりにも心地良く、すぐに眠ってしまい、この方法で覚えるのは無理と諦めた。それでも、鹿狼山に通ううちに、少しずつは分かるようになっていった。シジュウカラは最初に覚えた。ほっぺが白いから遠くからでも見分けが付いた。それから、ある日曜日の朝に、「トトトト・・・」と音がして、ドラミングの音だと気が付いて庭を見たら、桜の木にコゲラ君がいた。ちょうど次男が起きてきたので、双眼鏡を渡すと「ほう〜、コゲラっていうのかあ、鹿狼山からきたのかなあ」と言っていた。「ギーッ」と鳴いて行ってしまったが、木に垂直に止まるし、腹に斑点があり、鳴声も分かりやすい小鳥である。小鳥たちは忙しく首を動かしながら、一生懸命何か啄ばんだり、「チッチッチッ」と鳴いたりして愛くるしい生き物であり、鹿狼山に登るときの楽しみの一つになった。

 先日、午後から一人で鹿狼山に登った。午前中は人が多いので、警戒心の強い小鳥たちは余り姿を見せない。静かに一人で登っていると結構向こうからやってきてくれるのである。そしたらのっけから桜の木に止まっている大きな鳥に出会った。「うわあ〜何だ、この偉そうな鳥は!」とカメラを向けたが、逃げる気配もない。飛んでいかないうちにとシャッターを何回もきった。クチバシがかぎ状になっていたから、猛禽類の仲間とは思ったが、私の頭の引き出しの中からは名前が出てこなかった。それにしても堂々としたものである。そのうちに大量な糞をして飛び去ってしまった。身体を軽くするために長く木に止まっていたものか。飛び去る姿は颯爽としていた。この後、少し歩いたところで、エナガの群れがやってきた。10羽以上はいた。小さな体に長い尾が付いているので、これも良く分かる。さかさまに小枝にぶら下がったり、枯れたアジサイの花を啄ばんでいるのは、種でも入っているのだろうか。中にヤマガラが2羽ほど混じっていた。胸のオレンジ色が美しかった。動かないでじーっとしていると、かなり近くで見ることができた。「チリリチリリ」とよく鳴き、よく動くし、写真に撮るは難しかった。

しばらく眺めていたら、Y君のことが思い出された。Y君は38歳の若さで癌に倒れ、逝ってしまった山の友達である。レスキュー隊員で、頼りがいがあって、いつも穏やかな笑顔だった。20年以上も前のこと、あの時は北海道をモトクロスバイクで走り、大雪山を登ってきたという彼を、みんなで囲んで土産話を聞いていた。「ナキウサギがいたんですよ」と言っていた。「へえーどんな風に鳴くの」という質問に、彼はえーと、と言いながら「チッチッ、チッチッ」と真顔で鳴声をまねしてくれた。北海道・大雪山で聞いてきたそのままを何とか伝えようとしていたと思う。みんなで笑ったものだ。彼を思い出したのはナキウサギと小鳥の声が重なったものか。こうして独りで鹿狼山を歩いていると、様々なことが頭をよぎる。子供二人と奥さんを残して逝ってしまったけど、彼は家族や山の仲間の思い出の中で生きているのだ。                

 3月末になれば、スミレやカタクリ、キクザキイチゲと次々に花が咲く。コナラやシデ類の新緑はことの他美しい。そして、緑が濃くなり葉が繁れば小鳥たちの姿を見つけるのは難しくなる。期間限定のお楽しみである。

「サシバ」のようです

冬の鹿狼山は明るい

 

編集後記

植物が眠りから覚め、次々と芽を出す時期を迎えた。樹々が萌芽する光景は、毎年、繰り返し見ているのだが、毎年、新鮮な感動を覚えるのは何故なのか。新たな生命の息吹は11日が劇的に変化し逞しい限りだが、ブナやトチノキ、ミズナラなどの極相林の構成樹は一気に葉を展開するのに対し、ダケカンバやヤマハンノキなどの先駆種は時間をかけてゆっくり葉を開くのだそうだ。それぞれに種の繁栄を確保するために長い年月を経て遺伝子に刻み込まれたフェノロジー(季節性)だという。人間が感動するのは発芽の一瞬に種の生存をかけている姿を無意識の内に感じ取っているからかもしれない(M.S.記)。