風景印の旅(3)        鎌田和子

 前回の「風景印の旅(2)」で、ウラジロガシをアラカシだと思い込んでいた話をしましたが、私はまだ本物のアラカシの樹木を見たことがなかったのです。 
ところが、4月のある日、福島市の稲荷神社拝殿の左側に立っている樹木が、アラカシであると気がつきました。新しく伸びた枝から雄花の花穂が垂れ下がり、若葉が赤みを帯びて生き生きと輝いているのです。近づいて葉をよく観てみると、幅が広いのと鋸歯の具合から、その樹木はアラカシだと判断しました。そのことを、照葉樹に詳しい山内さんに話したところ、稲荷神社に行って確かめてくださいました。間違いなくアラカシだということです。山内さんの判断の根拠は葉の鋸歯と樹肌の特徴からのようです。私は、前回のアラカシとウラジロガシの、葉の幅や鋸歯の学習を生かして、アラカシであると同定することができたとひとり密かに喜びました。
 ヨーガの帰り道はいつも稲荷神社を通り抜けさせてもらっています。拝殿の右手にシラカシがあることは気づいていました。けれど、左手の樹木はアラカシであるなど思いもしませんでした。ヨーガの友人は必ず拝殿に一礼して通ります。私はその友人の姿と一緒に、拝殿の左手の樹木を目にしていたはずなのに気づかずに過ごしていたのです。「風景印の旅」がきっかけで、ようやくその樹木を照葉樹と意識し、若葉の輝くような美しさに出会うことができました。
 山内さんは、拝殿の両側に照葉樹を配置することは縁起の良い常葉(ときわ)の樹を選んだものと推測しておられます。さらに、稲荷神社のアラカシは比較的樹齢の高い高木で、中通りではたいへん稀で、貴重な樹木なので大切に保存してほしいと願っておられました。
 それにしても、右手のシラカシの木の下にはドングリが今でもたくさん落ちているのに、アラカシの木の下にはドングリが一つもないのはどうしてなのでしょう。アラカシの木を見つけた記念に、本物のアラカシの殻斗を拾いたいと思いましたが、殻斗どころか、ドングリ1個すら落ちていないのです。ちょうど、宮司が拝殿に向かって歩いてこられたので尋ねました。すると、宮司はドングリのならないカシの木だとおっしゃいます。ふう〜ん、そういうカシの木なのかと、その場では思いました。でも、あとになって、ドングリがならないことが不思議で気になってなりません。たくさんの雄花の花穂が垂れさがっています。雄花が咲いているのだもの、雌花だって咲いているはずでしょうに…?? どうして実を結ばないのかしら?不思議でたまりません。枝を切り詰めると、ドングリはならないと本に載っていましたが、稲荷神社のアラカシはそれほど枝を切り詰めているようには見えませんでした。これはやっぱり、ヨーガの帰りに秋までずうっと観察を続けてみなければ納得できないと思ってしまう私でした。  意外に身近なところで、「風景印の旅」の続きを旅することになろうとは…。こうして、「照葉樹林の旅」も一緒に続いていきそうです。(2008.5.1)


ウラジロカシ
スダジイラインの意味するもの        山内幹夫

今年の8月下旬、所用で、いわき市の小名浜にある福島海洋科学館「アクアマリンふくしま」に行った。去年も一度行っているのだが、あそこのすごいところは、単に水族館というだけでなく、陸と海との繋がりをうまく展示していることにある。言ってみれば、我々が生活している陸と海洋との接点を、後背湿地から海岸砂浜までの生態系変化のビオトープにしてしまう具体性に驚かされた。さらに、海人写真家古谷千佳子さんの写真展で、沖縄だけれども、人の生活と海との関わりを展示したり、沖縄(やんばる)のカエル展を開いたりと、海と人、海と陸との関係にこだわる姿勢が、強く印象に残った。
 ところで、海と陸との接点を自然史的に見るならば、いわき市の勿来地区から久之浜町末続地区にかけて、断続的にスダジイ(ブナ科シイ属)の自生が残っているが、スダジイの自生分布の連続を追って行くと、原始・古代における陸と海との接点について、実に具体的に表すことができることに気づいた。一昨年前から、双葉郡南部における照葉樹林について調べて来たのだけれど、去年はいわき市に足を延ばして歩いてみた。ヒントになったのは、いわき市平市街地の東端、鎌田地区にある弘源寺の高台斜面に繁茂するスダジイである。弘源寺の高台には、縄文時代前期(今から約6,000年前)の貝塚がある。すなわち、その頃には、海が相当内陸部にまで入り込んでいたことを意味する。これは、東京湾周辺や、仙台湾周辺でも同じ現象が認められる縄文海進によるものであり、縄文時代早期末から前期初頭には、当時の地球温暖化により、現在よりも4m程、海水面の上昇があったことが推定されている。この温暖化によって、植生も変化するが、暖温帯照葉樹林が北上し、東北地方の海岸線において安定的に自生するようになったのは、今から約5,000年〜4,500年前の、縄文時代中期頃ではないかと考えられる。話は戻るが、弘源寺のスダジイを見て、スダジイ自生地の連続は、古海岸線を表しているのではないかと気づいた次第である。
 スダジイは、海岸線に沿った丘陵斜面部に密に繁茂する。いわき市では、現海岸線に沿って、沼の内地区から豊間地区、江名地区にかけての丘陵斜面に高い密度で自生が確認されているが、実は、平地区から草野・四ツ倉地区の、現海岸線からかなり離れた平野部に臨む丘陵斜面にも断続的に自生が認められている。そして久之浜町で、また、現海岸線に接近している。小名浜地区においても、藤原川に開析された平野部に沿った丘陵斜面で同じような現象が認められるようである。いわき市におけるスダジイは、ブナやミズナラ・コナラのように面的な広がった森林としては認められず、海岸線や平野部に沿った丘陵斜面部に繁茂し、その連続が帯状につながっているというのが現状である。
 この連続について、植生史的な意味合いも含めて、スダジイラインと仮称しておきたい。
これから、いわき市の2万5千分之1地図にスダジイの自生地を印してゆきたいと思う。その作業によって断続的に繋がるスダジイラインは、旧海岸線に沿った、古い時代の照葉樹林の様相をいくばくかでも表すことができるのではないかと期待している。
 スダジイなどの照葉樹林に限らず、森林には歴史がある。その歴史のなかには、地球規模の寒冷化や温暖化、その結果である海水面の下降や上昇などを反映したものも含まれる。そういった植生史を示す現在の林相をこれ以上破壊せずに保全し、今後に生かすのも今の人間の責務ではないかと思う。再び地球温暖化の危機が叫ばれている現在ではなおのこと。

 
   いわき市の古海岸線推定復元図

     渡辺一雄 1969年

いわき市平弘源寺南斜面のスダジイ林。現海岸線から5q以上離れている。

いわき市平弘源寺境内のスダジイ古木の根元(樹齢は200年以上か)

弘源寺と国道6号腺を挟んで向かい側の鎌田地区の丘陵斜面にも、スダジイを含む照葉樹叢が見られる。

いわき市豊間町八幡神社境内のスダジイ林。海岸線近くに位置する。

 

鹿狼山から  
6 たった1個のツノハシバミ     小幡 仁子

 今日は日曜日。10時半に洗濯がようやく終わりお天気もまあまあなので、鹿狼山に登ることにする。駐車場にはどこかの地区の親子行事らしく、30人ほどが集まっていた。小学生の元気な声が響いていた。秋の鹿狼山は日曜日となればいつもこんな風である。
さて、今日のメインはツノハシバミの実がどうなっているかということだ。先週はたった1個しか残っていなかった。今年の春に雌花と雄花序を観察して、夏には角のある独特の形をした緑色の実が4、5個付いていたのである。もっとも、4、5個では今年もツノハシバミの実のお味見はできそうにないと思っていた。
 この実はヘーゼルナッツと同じ味がすると本に書いてあったので、いつかは食べてみたいというのが私のささやかな願いである。今日見ると残念ながらツノハシバミの実は1つもなかった。落ちてしまったのかなあと思い、木の下を見たけれどそれらしいものもなかった。残念・・・。昨年も同じ頃に、実は全部なくなってしまった。だから、おそらくツノハシバミも栗みたいに、緑色から茶色に変色し中の堅果が熟して食べられるようになると思うのだが、その姿をまだ見ていない。図鑑には角状の果苞を剥いて取り出した堅果が載っていた。私がこんな堅果を見られるのはいつのことになるやら。
 気が付くとツノハシバミの枝にもう小さな雄花序が付いていた。これが来春までにはずいぶん長くなるのだからおもしろい。雌花は、これが変わっていて、芽鱗の先に赤い柱頭がヒラヒラと出ている。ルーペでのぞくと赤い炎が燃えているようでもあり、不思議な世界である。最近は一つ一つの植物の花から実までの姿を見てみたいと思い、鹿狼山に登っている。沢山の植物があるので、そんなに数多くは確認できない。今年は、ツノハシバミの他にオトコヨウゾメの花から実への変化などもおもしろかった。白い花が終わると緑色のつやつやした実が柄に垂れ下がる。それが黄色からオレンジ色になり、今は赤色に近づきつつある。ヤマボウシも時々見ていたので、春になって緑色の花びらが沢山出てきたのには驚いた。ヤマボウシの花は白いものだと頭から信じ込んでいたのである。花びらのように見えるのが総苞片だということも図鑑を見て始めて知った。
 この次は、ウラジロノキとアオハダの花を見たいと思っている。この木は鹿狼山に隣同士で並んでいる。どちらも実の方はすでに見ているが、花の方にはまだ会えないでいる。それから、イヌブナの花と実も見てみたい。まだまだ鹿狼山通いは続きそうである。


 

編集後記

■雨の予報がはずれたゴールデンウイークの半ば、前から気になっていた不動湯近くの県有林道の末端まで行ってみた。道は黒沢まで拓かれ、砂防ダムが整備されていた。この林道はそのための工事道路だったらしい■堰堤にはオオバヤシャブシが植林されていた。帰ろうとふと振り返ったら白一色の斜面が目に入った。ニリンソウの大群落であった■その中に踏跡を見つけた。たどるとその末端にはケヤキの「あがりこ」の大木がひかえていた■帰り道にカモシカに遭遇した。この春2度目である■林道入り口の伐採地では3、4年生と思われるブナの稚樹が1本。それは、「ここは私の住処です。人間の手を借りずともここはブナ林に戻ります。」と語りかけているようであった。陰樹であるブナの稚樹の行末を案じつつ帰路についた(MS記)。