自然保護活動後継者の育成が急務ではないだろうか    山内幹夫

 最初から年齢の話しで申し訳ないが、「高山の原生林を守る会」会員の平均年齢が何歳位なのか考えられたことはあるだろうか。私は平成13年に入会したので、それ以前のことはわからないが、観察会に参加されている方々の大半が実年を超えられ、還暦を過ぎた方もいらっしゃることは確かである。さらに「東北自然保護の集い」にお集まりの方々もそうである。もちろん、20代〜30代の方もおられることは確かであるが、人数割合からすると少ない。

 考えたくはないが、あと20年過ぎた頃、自然保護活動を推進される方々が何人おられるだろうか。さらに、自然保護活動がまともに推進されているのだろうか。里山の自然は守られているだろうか。福島近辺の吾妻連峰や安達太良連峰に入山する人々を見ると、中高年の方々に比べて若者の姿が少ないことが以前から気になっていたが、この問題は杞憂ではないような気がしてならない。

 何も自然保護に限ったことではなく、埋蔵文化財保護や民俗芸能など無形の文化財保護にしても、考古学や民俗学を大学で学んでも、卒業後は研究を続けない学生がほとんどで、福島県民俗学会などは後継者がほとんどおらず、将来存続の危機に瀕しているという話を耳にした。やはりフィールドを歩いて汗をかいて地道に活動(研究)する分野には若者は魅力を感じないのであろうか。

 誤解を恐れずに言うならば、僕らは高校や大学において全共闘時代を経験し、それぞれ立場は異なれど、多少なりとも「モノ」を考え、一時期は反戦フォークに浸った世代である。それにひきかえ、現在の若者達の多くは「本を読み」考えるよりも「ビジュアル」な感性で生活を楽しむ生き方に変わっているような気がする。

 何もそれが悪いとか言っているのではない。それならそれで、「ビジュアル」な感性に自然保護の大切さを訴える方法を模索して、後継者を育成できればと考えたい。「見て・触れて・楽しんで・考え・学ぶ」フィールド学習プランにより、自然のすばらしさと大切さを感じてもらえれば、少しずつでも自然保護を目指す若者が出てくるのではないだろうか。福島県に「自然史博物館」を建てたいという目的のひとつとして、私はそのことを考えている。

 「見て・触れて・考え・学ぶ」というのは私が勤めている福島県文化財センター白河館「まほろん」のキャッチフレーズで、ここに引用するのは手前味噌のようで申し訳ないが、「まほろん」には小学生以上の子どもたちで組織するサポーターズクラブ「まほろんメッツ」があり、自主的に多くの子どもたちが体験活動を行っているし、大人で構成するまほろんボランティアの方々も活発な活動をしている。そのことを日常目にして、早く「自然史博物館」を立ち上げてこのような活動を推進し、県内の自然保護団体と連携して広範囲な事業を行うことにより、少しずつ自然保護活動の後継者が育ってくれればいいと考えるようになった。

 若者のボランティア意識が高いことは、救われる感がする。森の案内人事業についても、県事業のボランティアだけでなく、自然保護後継者育成を目標として、自らの意思で若者の琴線に触れる訴えを行うことが必要ではないか。さらに、県内の自然保護団体・研究団体や森の案内人・福島県立博物館などが連携して2〜3年に一度でもいいから、子どもたち・若者向けの自然保護イベントを開催して関心を高める工夫も必要と考える。

 いろいろ夢みたいなことを書いてしまったが、今できることは、当会の自然観察会に一人でも多く若者を参加させることかなと思う今日この頃である。

 

谷地平避難小屋の救急箱         佐藤 守

 この夏の717日に久しぶりに谷地平を訪れた。湿原はオオカサモチやシナノキンバイ、イソツツジ、カラマツソウ、キンコウカ、ミヤマリンドウ、モミジカラマツ、シロバナニガナ、コバイケイソウなどの夏の花が咲き競っていた。鎌沼から姥地蔵を過ぎ針葉樹林帯に入ると入山者も少なく、渓流釣りの帰りと思われる3人とこの日は何か自然観察のイベントがあったのか、おそろいのワッペンをつけた集団に出会ったぐらいであった。

 湿原の散策を堪能した帰りに谷地平避難小屋に設置してあるはずの救急箱を思い出し、小屋に寄って救急箱を探した。入口脇の観音開きの扉がついた戸棚に救急箱があったのだが、最初はそれとは認識できず、しばらくしてその状況を理解して愕然とした。何と救急箱は蓋が壊され、その中に日本酒の三合ビン2本とペットボトルが入れられていたのである。この救急箱は私が所属していた山岳会の事業で包帯等の薬以外の救急用具を入れたものを昨年(2004年)に吾妻・安達太良連峰の避難小屋に設置したものである。

戸棚の前には大型のゴミ袋が満杯状態で、この中にもペットボトルなどが外のゴミと一緒に入っていた。救急箱の一件は他人の迷惑を考えない行為であり、ゴミ袋の放置の件は誰かが始末してくれることを前提としている行為である。いずれも「自己責任」を前提とする登山行為とは相いれない行為である。特に救急箱に対する所作は登山者のモラル以前の社会的にも許せない悪行であり、登山を愛好する人間ではない者の行為ではないかと思わせる。

 同日、吾妻小舎のご主人にこの件を話したら、最近は花の盗掘などを注意すると逆切れする者が多く、身の危険を感じることさえあるという。避難小屋にまで監視カメラの設置が必要な時代になったということなのだろうか。外国人が日本に来て驚くことは農産物の無人販売ボックスや自動販売機の存在であるというが、そのような日本人の気質がいつまで持続可能なのか一抹の不安を感じた。

 


蓋が完全に破壊されている

 

森の仲間達      ブナ林に棲むセミ「コエゾゼミ」

磐梯山観察会では、花のほかにいくつかの昆虫類も観察できました。観察会の後日、冨田國男さんから「エゾゼミ」と「コエゾゼミ」の識別法についてアドバイスを頂きました。調べてみると実に面白いと思いましたのでここで紹介します。

 「エゾゼミ」、「コエゾゼミ」ともに北海道、東北に生息するセミですが、「エゾゼミ」は主としてアカマツ林やスギ・ヒノキなどの人工林に棲み、「コエゾゼミ」はブナ林に生息します。どちらも背中に「マクドナルド」マークを持っています。このマークの頭側についている黄色い条線で「エゾゼミ」、「コエゾゼミ」の違いが分かります。写真のようにこの部分が切れているのが「コエゾゼミ」です。

 「コエゾゼミ」は春の「エゾハルゼミ」と同様、東北のブナ林に生息する代表的なセミの仲間ですので、覚えておきたいものです。なお大竹力さんのブログ(磐梯山の力 http://inawashiroko.cocolog-nifty.com/chikara/)の831日付けでも紹介されています。

コエゾゼミ

(○の部分が切れている)

 

編 集 後 記

先日、TVで県が作成したと思われる「森林環境税」のPR番組を偶然見た。その中で、間伐や下草刈りをした県有林(ケヤキ林)と伐採直後の2次林を映し出し、森を育てるには管理が必要であるかのようなことを県の役人と樹木医が説明していた。説明では管理された県有林ではケヤキがすくすく育っているが、伐採放置されている所はヤブ化しているという内容であった。この説明は、「森」を育てるために管理が必要と言う図式を県民の意識に刷り込むことを狙っているのだろうが、あまりに乱暴な説明ではないだろうか。自然林を育てることと特定の樹種を育成維持することの生態的差異を曖昧にし、しかもこの番組ではケヤキという特定の広葉樹の生育の良否を根拠に上げ、あたかも広葉樹林一般を育成するためにも管理が必要ということでくくっている。少なくとも自然林、里山、遷移、階層構造といった森林生態学の基本的な概念の説明をしておいて、「森林環境税」で実施される事業の直接の受益者は誰なのかを具体的に説明すべきと考えるのだが。