仁さんの森のコラム    

八丁林のダケカンバ

2005320日  渡辺 仁 

安達太良山にある勢至平の東側には、「八丁林」と呼ばれるカラマツ林があります。数年前から気になっている場所でして、「ここはこのままカラマツ林で良いのだろうか」というのが最初の疑問でした。

 八丁林と呼ばれたのは、カラマツ林になってからのことのようで、湯川渓谷沿いの登山道が開設される前に「塩沢ルート」として利用されていた頃のことではないかと思います。これは、スキーツアーのルート図集でも紹介されているコースですが、現在では「廃道」と言っていいと思います。

 カラマツを植える前の植生がどうだったのかと思い、古い地図を見てみました。手元にあるなかでは最も古い、昭和44年発行5万分の一地図では、「荒地」マークになっています。さらに、森林管理署で作成している管理図を見ると、「カ84」とあります。84年生のカラマツ林ということです。大正時代から昭和初期にかけて、失業対策としてあちこちで植林事業が行われていたようで、安達太良山麓には、同じような古い植林地があちこちにあるのでした。岳温泉の二瓶義松さんにうかがった話では、「以前は茅場だった」というらしく、「ブナ・ミズナラ林の時代があったはず」という私の仮説までは、今のところたどりつけていないのです。そもそもこのあたり、少なくとも9世紀あたりから人間がなんらかの営みに利用していたようで、「原生林」の時代までたどりつくのはきわめて困難なことなのかと感じているのです。

八丁林は、雪のあるときには割合簡単に歩けるため、たまにクロカンスキーで見に行くのですが、一見整然と並んでいるように見えるカラマツ林でも、そのすき間にはリョウブがけっこう多いし、低層中層に広葉樹が混じっていることが目につきます。そして、大きめの隙間(林冠ギャップ)には、ダケカンバが堂々と枝を伸ばし、カラマツよりも存在感を示しているのです。その力強いダケカンバを見たときに、「この森は大丈夫だな」と感じたのです。といっても、このカラマツ林内に他の樹木が育つことのできる穴が生じる確率は、そう多くはないかもしれません。もしもこのカラマツ林を、広葉樹林との複層林あるいは混交林へと導入し、最終的には、極相としての「ブナ・ミズナラ林」に転換することを目指すのならば、「ダケカンバなどの稚樹を伸ばすためのカラマツの抜き切り」という方法もあっても良いのではないかという、当初からの希望も多少は残っています。しかし、それにはかなりデリケートな選木技術が必要とされるわけなので、「何もしないほうが良い」かもしれません。

 ちなみに、このカラマツ林の一部に小さな沼(黄判沼)がありまして、モリアオガエルの棲息が確認されています。また、平坦な地形ということもあり、カモシカやウサギの足跡も少なくなく、森林計画図の中での「単相なカラマツ林」というイメージとはかなり違うぞという印象です。

 八丁林は台地状の林ですので、最短距離でここに登ろうとすると、けっこう急斜面を登る必要があるのですが、アプローチとして使いやすい塩沢スキー場から入ると、ブナ・ミズナラ林の中を登ることになるわけです。「湯川渓谷」ということのできるそのあたりの谷沿いには、安達太良の東面では珍しい感じのブナやミズナラの大木を見ることができます。同じように、西側の烏川沿いにある「熊の穴水源」から登る急斜面では、ブナやウダイカンバの大きな木を見ることができるのです。それらの植生から、八丁林の「潜在植生」というものを「ブナ・ミズナラ林」に結びつけるのは、かなり強引ですが、奥岳スキー場やら安達太良連峰の稜線からもよく見えるこの林が、そんな広葉樹の森になったらどんなにすてきなことかという期待があるわけです。カラマツ林から抜け出るダケカンバは、そんな森の先駆けとなるのでしょうか。


川柳らしく文    S氏より投稿

(鉢)よりも野山で咲きたい山野草    ・・・山野草愛好家へ一言申したい

ストックの穴ぼこだらけ百名山(登山道) ・・・???!!!

タラノメもすっかり採られ枯れかかる    ・・・山菜取りのマナーを思う

湿原も排水溝で乾燥化           ・・・西吾妻の過度の整備

環境の謳い文句で観光化          ・・・世界遺産ってなに?

盗掘の商売人は抜け目無し         ・・・水原のクマガイソウでひとこと

林道の整備はゴミのおまけ付き       ・・・観察会にて

堰堤のカムフラージュに岩と滝       ・・・自然にとけ込むよう景観に配慮してるってこと?


 

[編集後記]

最近出版された「生態工学の基礎」(フーゴ・マインハルト・シヒテル著:築地書館)という翻訳本がある.これはアルプス・チロル地方の山域で実践された現地の植生を利用した防災工事に関する研究を体系化したものである.時代的には1970年代までの事例集であるがコンクリートを使わず、徹底的に生態系の保全にこだわって確立された技術体系は、現在の日本にはないものである。西欧における自然美を尊重する思想の歴史の深さを垣間見た思いがした。これを機に日本でもこのような手法が普及することを願う。