会報50号に寄せて        高橋淳一

鳥子平から高山

高山のブナ林

「高山の原生林を守る会」が発足し、早いもので17年余りが経過しました。そして、この度、会報も創刊から50号を数えることとなりました。改めて、その一つ一つを読み返すと感慨深いものがあります。

ワープロも無く、方眼紙に文字を書き込み、新聞記事を貼り付けて作った原稿。「高山の原生林を守る会ニュース」創刊号は1987年6月29日の発行でした。現在であれば、粗末で読み難く、とても人前に出せるような代物ではありませんでしたが、「スキー場開発を何とか止めたい」、その一心で作ったことを今でも鮮明に記憶してます。内容は「守る会」の設立に関わるものや、福島市への「公開質問状」など、まさに反対運動真っ只中というものでした。

その後、1年余りは「白紙撤回署名:18050名」や18回に及ぶ現地調査を実施し、関係機関への陳情も積極的に実施しました。しかし、この時点での解決には到底至らず、状況が好転するきっかけとなったのは、1991年に、吾妻連峰が白神山地や知床に続いて森林生態系保護地域の指定を受けたことによるものでした。その後の活動においては、「高山」の森林生態系保護地域への区域設定(編入)に向けて、協議会(代表:星一彰福島県自然保護協会会長)を組織し、調査報告書の作成や関係機関への陳情を行い、その結果、「高山」は1995年2月山頂から標高1250m付近(通称:フンドシ)までが生態系保護地域となりました。この間、会報作成にワープロが導入され、初期の会報様式が確立し、総会や観察会、写真展開催の案内が掲載されるようになりました。また、森林生態系保護地域設定を期に、定期的な観察会を開催するようになり、会報にも、観察会の様子や参加者の感想が織り込まれるようになって行きました。

さらに登山道の荒廃や湿原の裸地化についても、レポートや提言が多く見られるようになり、視点が開発阻止から、「自然と人間との関わり」に明確にシフトした時期でもありました。そして、現在の会報のスタイルになったのは、第15号(1995年12月)からで、発行も年4回となりました。あれから9年、35回の会報はA4版換算で300ページに達するまでになり、森や花の紀行文、そして歴史やエッセイと幅広い情報を提供できるまでになってきました。しかし、何と言っても、これまで継続できたことは、当時、全国的なリゾート開発ブームの中、反体制的な活動に対し、誹謗中傷を受けながらも会の設立、その後の活動と、献身を惜しまなかった会員各位の確固たる信念と結束によるものであります。今後もその強固な関係を維持していくことは当然であり、会報の充実を図り、情報、価値観の共有を進めてまいりたいと思います。


花の言葉に耳を傾けてみよう
    山内幹夫

私がこの会に入会して、はや3年がたった。最初は皆さんと山登りができて楽しいなと思っていたが、次第に、植物観察にのめりこんでゆくようになった。それもこれも、佐藤守さん達の熱心なレクチャーや情報提供に触発され観察の面白さの虜となったからである。それからは、佐藤守さんから教えて頂いたフィールドを初めとして、吾妻・安達太良山系や昔ヤマメ釣りに通っていた渓谷、故郷の阿武隈山地などをデジカメ片手に徘徊して数多くの花々と触れ合うことができ、休日は充実した日々を過ごしている。

最近になって感じるのだが、なぜ素晴らしい花と出会えるのだろうという疑問が湧いてくる。偶然と言ってしまえばそれまでだが、花を開かせるのは植物の唯一の自己表現、何か話しかけて来ているのだろうかと考えることもある。開花は種を残すための受粉の手段という解釈だけでは味気ないではないか。

花が人間に向けて話しかける(?)言葉の解釈は人それぞれと思うが、それを理解するヒントに「貴方は何故そこに咲いているのですか」という問いかけがあるのではないかと思う。そうすると「私は昔からここに住んでいるが、この先安心して住めないような気がする。人間に安心して住める家があるように、私の家はこの森なのです。森に住む樹や草、鳥や動物たちは共に助け合って生きている私たちのかけがえのない仲間なのです。この仲間がいなかったら私たちは生きてはいけません。私たちの家を守ってくれませんか。」などと答えて来そうな感じがする。実際に聞こえては来ないのだが。

植物にとって森なり草原なり湿地なり砂浜は生活する場所であり住む家なのだ。自然の植物は、様々な種類の植物どうし共同体社会を形成して生活している。そこでの生態系システムが維持されてこそ、安心して住めることは皆さん周知のことと思う。

私は霊能力者でもないし運命論者でもない。しかし出会いというものは、何らかの縁があるのではないかと考える。私事で恐縮だが、私の妻は長年リウマチで苦しんでいる。私も最初はその不幸な運を怨んだが、最近は「私の妻は難病に罹ることになっており、罹った時に私に助けてもらうために縁が結ばれた。天は難病に罹った妻を助ける相手として私を選んだ」と解釈して、介助にあたることにしている。不思議なもので、そのように考えてからは、良い整体療法士に恵まれ、リウマチも少しずつ快方に向かっているのだ。その療法士は自然治癒力を基本として、自己免疫力の向上を目指す治療を続けている。ここでも自然の力の偉大さを感じることとなった。第一、妻が難病に罹らなかったら、私も魚釣り三昧で、何をしていたかわからない。妻が難病に罹って初めて殺生を止める願掛けを行い、山歩きや自然観察を行うようになったのだ。このことも、私が自然の花と触れ合う縁と考えている。だからこそ、花の言葉に耳を傾ける義務があるのではないかと今は考えている。特に一昨年の「花紀行」取材以来、鬼面山や土湯周辺で実に多様な花たちと出会うことができ、写真に記録することができた。その時はただ「楽しい」だけだったが、最近とみに「あの花たちは何かを訴えたかったのか」と気がかりになっている。

アケボノソウの蜜腺溝に花蜜を飲みに来た虫を捕らえる小型蜘蛛。この蜘蛛はこの花に羽虫が来ることを知っていたのだろうか、網を張らずに捕らえた。小さな食物連鎖。森の生態系を垣間見た気持ちがした。福島市の荒井地区山中にて。

幽霊ではないが、何かを話したくて目の前に現れるとしたら、やはり、花達が何か危機的状況にあるのではないか。「義を見て立たざるは勇無きなり」という言葉がある。これから、花達の境遇を調べて、問題があるとすれば解決方法は何かを考えてゆきたい。もしそれが無駄であったとしても。

山岳のお花畑や高層湿原を歩くハイカー達も、すでに「義」を見ているのだ。また自然保護を勤めとする担当部局もしかり。「立つ」ことは「踏み荒らしをせずに登山のマナーを守る」ことであり「自然保護への具体的施策を積極的に実施する」ことなのだ。努力を惜しまなければ、人生粋に感じて成否をあげつらう者はいないだろう。要は努力することだと思う。

南方熊楠は紀州熊野の山中で粘菌と出会い、訴えを聞いた。そしてエコロジーの概念を日本に初めて紹介した。彼は、森林というものが動植物の共同体社会であり、曼陀羅と考える。人間だけ特権階級で別枠という考え方を否定し、紀州熊野の原生林や神社の森を守る闘いを進めたのだ。まさに「義を見て立った」のである。このことは最近NHKの番組で放送されたが、まさに正義を見た思いだった。

あるいは花たちは「人間が、今まで自然の仲間に助けられて生きて来られた恩を忘れて、これ以上仲間達を見捨てるようなことをすれば、今度は人間が自然に見捨てられて生きていくことができなくなるぞ」と警告を発しているのかもしれない。人間も植物や動物も、自然界の曼陀羅では、等しい仏性なのだ。

 

仁さんの森のコラム    

森のための「税金」

平成16年9月19日  渡辺 仁 

いま、全国的に花盛りなのです。何がというと、「森林環境税」論議です。『現代林業』6月号の特集「地方自治体の環境税・水源税の今」によると、38都道府県がこのような森林環境税設置に取り組んでいるらしく、福島県もそのひとつなのです。 

福島の場合には、「森林との共生を考える県民懇談会」という話し合いを経て、現在は森林審議会で話し合いが進められている様子です。懇談会にしても審議会にしても、公募委員がいますし、公開と意見募集も行っていますので、その意味では「県民参加」による仕組み作りを行っているということは「可能」なのかもしれません。

そしてまた、環境省が構想する「温暖化対策税(環境税)」も来年度の導入を目指していて、「森林整備」のための財源確保が着々と進められているわけです。環境税ではガソリン1リットルあたり2円程度課税ということで、石油を使う人ほど税金を払う仕組みなのですが、地方自治体の森林税は、一律500円(高知・岡山)あたりで決定するようで、まあ「たいしたことない」といえる額でもあるわけですが、「環境税を払う」という意識が重要という側面もあるようです。

ところで、複数の自然保護団体に入会している個人だったりすると、「自然保護のため」に年間数万円を支払っているという人も少なくないと思います。その他にも例えば「価格の1%を環境保護のために役立てています」といった企業もあるわけで、そうして集められた基金が、民間の自然保護NGOの活動に役立っていたりするわけで、当会の活動にも多少は回ってきていると思います。意識のある人は、税以前にも何某かのお金を環境のために支払っているわけです。

お金がなければどうにもならない問題はあるにせよ、お金を出せば環境保護が図られるかというとそれほど単純ではなく、「森林環境に回るお金」には、やはり問題が少なくないと思います。「森林保全」とか「治山事業」いっても、大規模林道「飯豊・檜枝岐線」のような土木工事は今も少なくないわけで、新たな県民参画のあり方という課税を検討するには、そのまえにこれまでの事業を洗いなおすという作業が不可欠なのだろうと思います。

「森林環境税」というだけで、なにか環境に貢献できるような気分ができてしまうとすればそれは良くないことです。

 

「うつくしま自然展」開催報告

自然のすばらしさを多くの人たちに実感してほしい。そして、郷土の自然を大切したいと思う心を育んでいってほしい。また、自然豊かな福島県において、これまで残された膨大な資料(標本)の保管、専門的研究、NGO等の交流拠点、情報発信の場として「自然史博物館」の必要性を訴えたい。そんな想いを目的に「うつくしま自然展」が8月14日、15日の2日間、「福島県自然史博物館設立推進協議会=参加8団体」の主催(石川町協賛)で「コラッセふくしま」で開催され、500人近い一般来場者で賑わいました。展示物は植物、野鳥、淡水魚、昆虫、鉱物と多岐にわたり、貴重な写真や標本など日頃見ることが出来ない展示品も数多くありました。また、体験コーナーやクイズも準備され、多くの子供達にも楽しんでもらうことも出来ました。守る会では、これまでの活動内容のパネルや写真の展示、そして会場内では異質ではありましたが登山道の裸地化など人と自然の関わりによって起こる各種の問題について提起を行いました。「今後も、機会があればこのようなイベントを開催していきたい」との声が参加8団体から聞かれるなど、「福島県自然史博物館」設立へのアピールに留まらず各団体間の交流が図られた有意義な2日間でした。(高橋淳一)