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高山の会と私 白澤 和子 高山の会、感激その一 的場川の観察会です。春先だったかしら、明るい雑木林をガサガサ分けて行くと、川と言うにはあまりに清々しくやわらかい流れなのです。水辺の緑が丈を伸ばし始めた、そのあたりの石を回ってコロコロと弾けていました。 高山の会、感動その一 植林の始まりです。峠の牧場跡地は樹林を一本残さず拓かれた急斜面の荒地となっていて汗と涙を流して去っていった人たちの虚しさに満ちていて茫然となるのですが、そこに苗木を植えて水源の森復元という会の行動にたちまち熱くなってしまいました。その後欠席が続きましたが、5年計画ですもの、後2回あります。5分の3の参加でしたら、森を造った時の一人だと話しても良いでしょうか。 高山の会、嬉しいその一 久しぶりに参加しても穏やかな姿でお見かけする高橋氏、奥田氏、佐藤氏の存在です。懐かしくほっとする気持ちになってしまいます。 高山の会、困惑その一 会費の安さです。年会費500円。そのとおりに納めているのは私だけかもしれないと不安なのです。だってあの会報「高山」も届くのです。体感できるブナの道の語り、カワラナデシコは山で会いたい一番の花・・・・と多くの楽しみと刺激をいただいています。 私は、自然の恵みに感謝する生き方と発言し行動する生き方をずっとこの会から学んできました。これからもどうぞよろしく。 |
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高山の会と私 柳内 景子 高山の会をどのようないきさつで知ったのか忘れることの多い私にはどうしても思い出せません。現在会のホームページをお気に入りに入れてありますので時々引き出しを開けて楽しいものを取り出すように眺めさせて頂いております。 会報は頂くとまず、今後のスケジュールを拝見。それぞれの観察会やボランテア行事を自分が参加した気持ちであれこれ楽しんでおります。このように私にとって会の行事はいつもお客さんでしかありません。参加すればスタッフの皆様、参加者の皆々さまより元気を頂いています。頂きっぱなしの私ですが、今後もお世話になります。50号を祝してカンパイ! 会報50回 に寄せて 伊藤順子 たった原稿用紙半分か1枚程度の原稿を纏めようとしていて改めて8ページの会報を作る事の苦労がわかった気がしています。それを50回も定期的に!・・・本当に有難うございます。 いろいろ意見はあるかと思いますが、「高山」の会報がいつも同じ構成で変わらないので、方向音痴の私は助かっています。たまにしか行かないスーパーが、行く度に売り場が変わっていると欲しいものを探すだけで時間を取ってしまいイヤになりますが、会報「高山」は、いつ見ても何処に何があるか一目瞭然で老舗の風格ですね。中々観察会に出られない私ですが、当分は会報会員で今後ともよろしくお願い致します。 戦争を知らない世代? 渡辺 仁 リゾート開発から「高山の原生林を守る」活動が、どんなものだったのかを私が知ったのは、3年ほど前に『ブナが危ない』(無明舎出版)を読んだ時でした。「高山開発」の昭和62年頃といえば、私は長野県に住んでいて、信州でもさまざまな自然破壊の問題を耳にはしていましたが、遠いふるさとの山で、こんなにも熱い運動が展開しているということは知らなかったのでした。 「執念とエネルギー」の日々 小林 澪子 この夏の酷暑のため、当方の体調がすぐれずおりましたために長い間ご無沙汰してしまいました。なんと言っても年齢には勝てません。 (04.8.30) |
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「高山を守る会と私」 佐藤久美子 私が高山を守る会と出会えたのは、奥田さんからの紹介でした。「ユックリ歩くので、私にピッタリだよ」と声をかけて頂き、本当に良かったと感謝しています。初参加は、1998年10月11日、薬師森観察会。姥湯温泉を横切り、美しい紅葉が印象に残っています。それからは、予定の優先順位を観察会を第一番として参加する様になり一年を通して、春夏秋冬、どの季節も教えてもらう事は山ほどあり、毎回新鮮な驚きがありました。それで、気が付くと皆勤賞を連続3回も頂いていました。 |
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私の賢治のこぶしの樹 佐野 一子 |
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場所は宮城県七ヶ宿町長老地区。長老神社入り口にそのこぶしの樹はありました。 高さ20メートル近い。春になると花が万単位ほどに咲くのです。真っ白な花と香りは周囲の木々の芽吹きと相まって見るものの心を圧倒しました。私には賢治のマグノリアの木の童話を思い起こさせ、しばしの間うっとりと見上げている時間がとても好きでした。いつしか“私の賢治の樹”と名付けました。丁度、半田山の桜が満開の頃です。でもここ3、4年は仕事の都合で行けずじまいでした。そして去年の秋になってやっと時間を見つけこぶしの樹に会いにゆきました。一見して、なに?なに?なに?・・・・・・。そのこぶしは太い幹が払われ、2メートルは越している樹のめぐりに高さ6メートル位のH型鋼が支柱として2本。その支柱をワイヤー(ゴムで保護はしてあるけど)で5ヶ所ほどぐるぐる巻きつけられ無残な姿でたっていたのです。どうして?どうして?私は動転してしまいました。切り払われた太い幹が根元近くにたくさん横たわっていて・・・・私は自分の身体の一部が切られたような思いで半分泣きながら車を運転して帰りました。長老神社入り口の白石−七ヶ宿間の車がひっきりなしに通る道路のそばです。 家に帰ってその夜、樹木医の資格を持つ佐藤さんに事情を話しました。「詳しいことがわからずに言うのはおこがましいですけど、そういう処置の仕方は最悪の状態であると講習会で教わりました」とがっかりした声で言ってくださいました。内容が分かりません。誰に聞けばいいのか。私の頭からはこぶしの哀れな姿が離れず冬をすごしました。雪が解けるのを待って、時間を見つけ見に行ったところで何もできません。双眼鏡でそれでもあちこち残された枝から800ヶ近いつぼみを数えました。花の季節になっていつもの倍位の大きさの花を見ました。花たちに咲いてくれてありがとうと私は静かに語りかけました。そしてこの夏の終わろうとする頃、ようやく長老湖近くの南蔵王ユースホステルのペアレントである手塚さんにお目にかかりました。おだやかな方で私の質問にやさしく答えて下さいました。 |
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3年ほど前、花はひとつも咲かなかったこと。樹幹に長く大きな空洞ができていて枯死寸前だったこと。長老神社入り口にある大事な樹ゆえに残す方法は鉄の支柱を使わざるを得なかったこと。枝を切って樹に負担をかけないようにすること。長老地区の人達みんなで考えた末の処置だったこと等々・・・。 地区のみんなが力を併せて樹を守った過程を聞きながら私の気持ちは少しずつ軽くなるようでした。「でもやっぱり鉄の支柱を使うということはちょっとと思います」というと「道路のすぐそばに立っている樹でもあり、他に迷惑をかけることは許されないのでしばらくはこのままの状態でいくでしょう」と話されました。「他の町の方がこぶしの樹をそういう目で見ていてくれたということは嬉しいです。」といわれました。「このユースホステルに来て間もない頃,こぶしの花が咲いている夜の風景を見ましたよ。周囲がボーッと白く浮いているとても幻想的なものでした」目を細めて教えてくださいました。 単にその地区の樹であったても広く見れば地球という星に生きる樹でもあるのですから、私はそういう心でいつも自然を見つめていきたいと思っています。先日、蔵王町役場に用事があったとき長老湖のそばを通り、このこぶしの樹をながめていきました。残った枝から若い枝葉を伸ばしはじめているのを見て“がんばるのよ”と祈るような気持ちでした。 私の賢治のこぶしの樹は、確かにいきいきと伸びていっています。 |