高山と考古学シリーズ3

 

          高山の原生林を守る会「第1回 大昔の自然観察会」−氷河時代−  山内幹夫                                      

森は長い年月をかけてパイオニア植生から極相林へと遷ることが知られていますが、最近某所で日本一美味しい水源地確保のためと称して、ミズナラ林を伐採してブナを植林するというような無謀な試みがなされていることを知り、森にも人間が辿ったと同じ歴史があり、その流れを分断したくはないという思いをこめて、その自然史の一端をご紹介してみたいと思います。

 考古学では遺跡を発掘調査する際に、遺跡を覆う土をとても大切に扱います。日本は火山が多く豊かな森林に覆われていたため、火山灰が粘土化したロームや基盤の花崗岩が風化した粘土、森に厚く積もった落ち葉が土壌化した黒褐色土が至るところに堆積しています。その土層に含まれている情報から、土の堆積年代や自然環境が推定されるからです。

 私たちは遺跡を発掘するたびに、土のサンプルを採取して火山灰の分析や花粉・植物遺体の同定を行ってきました。その結果、福島県内における旧石器時代(氷河時代)から縄文時代にいたるまでのおおまかな環境変化がわかるようになってきました。それでは、これから皆さんとともにタイムマシンに乗って、大昔の自然観察会に出発したいと思います。

 最初は、旧石器時代の浜通りにやってきました。今から2万年も前に来たのです。場所は双葉郡楢葉町大谷上ノ原(遺跡)です。皆さん防寒着を着用して外に降りて下さい。とっても寒く、海岸線もはるか東に遠ざかっています。それもそのはず、あまりの寒さで海水が凍り、海水面が現代より10メートル以上も下がっているのです。現在常磐自動車道の木戸川大橋が架かっている平野は深い渓谷となっています。そしてタイムマシンで到着したばかりに鹿児島湾の姶良火山が大噴火して、その火山灰がここまで降ってきたようです。何人かの人が流紋岩を打ち欠いて石器を作っています。オオツノジカを狩りに行く準備でもしているのでしょうか。近寄らないようにしてくださいね。びっくりされますから。

周りは笹原が広がっています。よく見るとミヤコザサのようです。寒いけど、雪があまり降らない所に繁茂する笹の種類ですね。オオツノジカやヘラジカの大好物だそうです。

それでは、西側の阿武隈高地に目を向けて下さい。亜寒帯針葉樹林が見られます。シラビソやトウヒ・グイマツの木が立っていますね。あの木はアカエゾマツというのですか。まるで北海道に来たようですね。少し歩いてみましょう。佐藤守さん、この低木はなんですか。ああ、ハシバミですか。実がおいしそうですね。この松ボックリは大きいですね。これがチョウセンゴヨウですか。種は食べられるのですか。シラカバも立っているし、小川に沿ってケヤマハンノキやヤナギも見られますね。なんだ、コケモモやクロマメノキもあるではないですか。現代では浄土平や姥カ原に行かないと見られない高山植物も、氷河時代は、浜通りでも生えていたのですね。ここに動物の糞がありますが。高橋淳一さん、何の動物ですか。そうですか。草食動物ですね。オオツノジカかもしれないですね。

ここで昼食をとった後、少しタイムスリップしてみましょう。1万年新しくなった同じ場所です。今度は、雪景色が広がっていますね。やはり笹原が広がっていますが、笹の種類はクマザサ属のチシマザサに変わっています。ミヤコザサも少し混ざっているようです。クマザサ属は積雪に対する適応力がある笹なのです。氷河時代も終わり近くになって、やや暖かくなり、雪も多く降るようになってきたのです。ほら、海岸線も少し現代に近くなってきているでしょう。

 えっ、何か空から軽石の粒が降ってきているって。ああ、それは、浅間山が噴火したために飛んできているのですよ。浅間板鼻黄色軽石と言って、1万4千年前に噴火したことが知られています。

 それでは、今日の観察会は終わりにします。次回は縄文時代の飯舘村や本宮町、須賀川市と三春町などに行ってみましょう。

*今回の氷河時代景観復元は、仙台市富沢遺跡保存舘「地底の森ミュージアム」のデータと、楢葉町大谷上ノ原遺跡出土の植物珪酸体分析データ(古環境研究所)をもとに、哺乳類は岩手県花泉町から産出した大型哺乳類化石(オオツノジカ・ヘラジカ・野牛・原牛・ナウマン象)を参考にしてみました。             参考文献:安田喜憲「環境考古学事始」NHKブックス1980

 

湯田訪問記

                    鈴木勝美

 ◎ 2月14日 白木峠

 朝からどんよりした天気で、心配しながら集合場所へ向かった、メンバーが揃って出発、高速を北へ向かう、蔵王の屏風岳、雁戸山、そして栗駒山はかすんで見える、焼石岳 も見えてだいぶ北上したのを実感するが平地の雪はまだ少ない、秋田道に入るとさすがに様子は変わり、雪の壁が出来ている。

 錦秋湖パーキングで休憩し瀬川宅に連絡を入れる。すぐ前には雪崩が起きそうな真白い斜面を持つ山が見える。 高速インターの出口で待ち合わせして登山口へ向かう。登山口手前で秋田の佐藤さんが待っていた。「越中畑、御番所跡」の案内板のある道端に車を停め、支度をして瀬川さんの案内で出発。畑か田圃風の場所を進む。小屋の脇からアカネズミの足跡が 木の根元まで続く。林に入る直前まで夏は車が入るそうだ。しまり雪で歩きやすく快調。さらに日差しも出てきて予報に反し絶好の日和になった。晴れ男・晴れ女がいたようである。

 林に入りなだらかな登りを進む。途中「牛泊まり」の説明を聞き「ユキツバキ群生地」では、案内板支柱の先だけが雪の上に出ていた。積雪は1m程ありそうだ。春になったら再訪したいところである。

 南東の眺めが良いところで昼食となる「ふきどり地蔵」と呼ばれるところだろう。「ふきどり」とは吹雪で命を取られることとのこと。昔は真冬でも歩いて人の往来があったのである。漬け物やパン、スープなど贅沢なランチタイムとなる。皆様ご馳走さまです。ザックが少し軽くなって歩を進めると広い場所に出る。湿原であろうその上を歩けるのもこの時期ならではのこと。峠の頂上が意外に近く望め、足に力がこもる。ところどころ掘り割りのようになった場所があり、単なる登山道とは違うようで、歴史のある街道の名残であろう。先が明るく開けると頂上直下に出た。正面はスキーに格好の斜面で、右側に迂回して尾根を登る。稜線に出ると絶景が待っていた。左右の山並みを眺めながら登ってゆくと間もなく白木峠頂上に到着。南は栗駒山が霞んで見え焼石岳の山容がよく見える。反転し秋田側は、横手の町は望めるが期待した鳥海山は霞んで見えなかった。

 スキーのシールをはずし楽しみの滑り、私はスノーシューで登ってきた道を戻る。とはいえ、まっすぐ下れて雪のクッションもあり快適である。早く滑ってしまった人は、途中まで登り返して滑りを楽しんでいた。みんな揃ったところで戻ることになる。それぞれのペースで一本杉の大木や密猟のあと、枝の間に雪を抱きかかえるようにしたミズナラなどを見ながら、つかず離れず下ってゆく。途中で日差しと暖かさで雪が重くなり、予備に持参したスノーシューに履き替えるメンバーもいた。帰りはスキーが重くなり、スキーを存分に滑りたいメンバーには消化不良であったろうが、一日上天気で予定通り無事、車に戻れた。ふきどり地蔵や牛泊まり、ユキツバキなど説明を受けたが雪の下に埋もれ実感が伴わない のは残念である。やはりたくさんの花が咲き競う頃にでも再訪しなければ、この点も消化不良になりそうである。

 温泉入浴後、瀬川宅を訪問すると、まずペレットストーブを拝見。(ペレットストーブについては下記説明)夕食は囲炉裏で鍋を囲み、出来たばかりのガイド資料や手書きのイラストを拝見し葉、種、鳥の羽などから名前当て、鳥の鳴きなしなど楽しい時間を過ごせた。

 

◎ 2月15日 カタクリの会自然観察会参加

2日目は雪国文化研究所(沢内村)で観察会に参加した。昨夜の雨は、夜半から雪に変わり、湯田の冬らしいお天気になってきた。集合時間には雪国文化研究所の部屋が、30名弱の参加者でいっぱいになる。 たびたび福島の観察会にも来ていただいている小野寺さんの顔も見えます。朝の挨拶のあと、研究員の小野寺聡さんが降雪量、酸性雪、ライフワークとおっしゃる「かんじき」のことなどを話されました。縄文時代の遺跡から出たものが、かんじきのルーツではないかとの話、驚きです、また地域によって様々なカンジキがあることがよくわかりました。続いては雪の実地観察、外は吹雪いており身支度をして前庭に出て行きます、こちらの方々は、スコップの使い方は手慣れたもので雪をどんどん掘り下げて準備完了、積雪103cmと少なめとのことでした。温度、雪質、密度を深さごとに数箇所測り、更に長い筒を縦に刺して全層密度を測定、後からこの雪を溶かし酸性度も測定するそうです。最後に断面に専用の着色液をかけて断面の観察をします、ざらめ、新雪、しまり雪などの層が綺麗に現れました、観察が終わり現状復帰、全員で埋め戻しました。午後からは周辺の観察があるそうですが、昼食後岩手の皆さんに見送られて、吹雪のなかを慎重な運転で帰途につきました。湯田や沢内は体感ではずっと寒いのであろうが、雪の羽毛布団に包まれたようなホンワカした暖かさが心の中に残っていた。

湿原を行く 雪まくり 雪の断面観察

 

◎ペレットストーブ◎

 いままで使い道が無いか限られていたおがくずや樹皮を、圧縮し固めたペレットを燃料にするストーブです。ペレットの供給や送風のため電気を使うタイプもあるそうですが、拝見したのは使わないタイプです。岩手県内の企業が造ったもので、いかにも南部鉄の地元らしい頑丈そうなストーブです。天板の前を開けるとペレット収納部で、一定量ずつ下の燃焼室へ落ちていきます。燃焼室の焚き口を開けて薪も焚けます。ペレットは長さ1cmから1.5cm程度の円柱状です。このストーブの良い点は完全燃焼するので煙や灰が少ない、薪との併用も可、安定した火力、薪割りの労力不要等があげられます。その反面、火力の調整は難しく、すぐに消せない、コスト面(ペレットは15kgの袋で450円、需要が少ないので、まだ高めの値段)など不満の点もあり、開発途上の製品というところでしょう。福島県でも来年度からペレットストーブのモニターを募集(公共施設対象)するそうだが、一般に実用化はまだ先のことでしょう。技術面や流通、制度等の問題も早く解決して、広く使われるようになることを願います。

 

ペレットストーブ

樹皮ペレット

燃料投入槽


みんなのモリ     渡辺 仁

先日、とある森(丘)の未来についてのワークショップ(体験+話し合い)に参加してきました。いわば「森のかたちをどうしていこうか」という話し合いです。そのちいさな森は「私有地で国立公園で里山そして観光地」といえるような場所でして、そのような空間を接点として集まる人(市民)も、実に多様性に富んでいたと感じたのです。

例えば、その展望所からの視界をさえぎり始めた木々をどうするかという問題についても、さまざまな意見が出されました。そこ(視点場)からの眺望を維持したいという意見と、生態系としての森林を維持したいという意見は、その丘の持つ多様な機能への、様々な思いが現われていたと思います。

また、観察のグループが「自然」と「歴史・文化」と分かれたように、森林(ヤマ)には「自然」としての価値だけではなく、地域の歴史や文化という「人との関わり」という側面もあり、そのどちらの方向性にも秀でた方々が、よくも集まったものであると感心しているわけです。

そしてまた、このように湧き上がった様々な思いをひとつにまとめる(合意形成)ことの難しさも感じました。幸いというか、「フォレストパークあだたら」が近い場所だけに、すぐれたコーディネーターにも恵まれ、「市民による森林づくり」という来るべき“協働型社会”の最先端としての活動が、ここにもまた生まれでたとわくわくしている私なのです。

ところで、「みんなの」という言葉の意味を考え始めると、必ず引っかかるキーワードがあります。「コモンズ」という言葉がそれです。この1月に「コモンズ」をテーマにした本が2冊出版されました。一つは日本の「入会林野制度」を扱い、もう一つはインドネシアの熱帯林をフィールドとしたものでした。

コモンズに関する数年前の本の中では、奥只見と白神山地がフィールドワークの対象地になっていまし

て、「共生」という近未来社会像の中での森林の利用法を探るとき、「コモンズ論」には多くの示唆があるように感じています。

 

会報50号記念号の原稿を募集します。

 夏には会報も50号を迎えます。50号では2〜4ページ程度増やして何か特別の企画をいれて発行できればいいなと思っています。企画のアイデアや自然に関する原稿をお寄せください。特に、最近、顔を出せない会員、古い会員の皆様、よろしくお願いします

 

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