第162回自然観察会:達沢不動滝周辺自然林雪上観察会

19.2.24()

 

162回自然観察会:達沢不動滝周辺自然林雪上観察会に参加して 池田恵子

高山の会の皆様、いつもお世話様になっております。
冬の観察会に参加するのは、初めてでした。駐車場では、思い思いの冬のファッション、スノーシューやがんじき、登山靴等、皆さんの装いに見入りました。カラフルな色は、真っ白な雪と抜ける様な青空に、華を添えますね。
なだらかな道を、ゆっくりと歩きました。木の芽をじっくりと見たことはありませんでした。オニグルミとサワグルミの芽は明らかに違います。トチノキの芽はネバネバと光っていました。ウリハダカエデの新芽は赤い! ガマズミの新芽は二つに分かれる!殻はまだ固いけど、生命の力強さを感じました。カンボクの赤い果実、サワシバの果実、ノリウツギの果実と装飾花は冬の山に彩りを付けてくれます。歩き始めて間もなく、対岸の斜面をニホンリスが走っている姿がみられラッキーでした。うさぎや鳥の足跡、犬の様な大きな足跡もありました。雪がとけた道端の土手に、トゲシバリという珍しい地衣類があるよと代表さんが教えてくれました。
目的の達沢の滝は水がきれい!陽も差して虹が出ていました。雄滝と雌滝があり、雄滝の方が大きいのですが、「この会は、逆だなぁ」と言っておられました。(笑)
達沢原生林ではあちこちに巨木があり、あまりの大きさに感動しました。昔、木地師が住んでおり、勝手に木を切ることが許されていなかったそうです。大人5人で周囲を囲むコナラの大木、高い枝の間にはコケやサルノコシカケのような大きなキノコまでありました。枝先近くには、熊だながあり、折しも小鳥も飛んできており、私には鳥の巣に見えて、熊?鳥?熊?鳥?頭の中がグルグルになりましたが、青空にそびえ立つ大木を見上げて考えるのをやめました。
木地師という言葉も初めて?きいたので、携帯で調べてみました。「木地師」とは、山に入って木を切り、和製ろくろを使って木からお椀やおぼんといった「木地」を作る職人のこと。歴史は古く平安時代の第55代の天皇の世次の争いに敗れた長男が家臣と供に山に入って作ったのが、始まりと言われています。
さて、お待ちかねの昼食。いつの間にか、雪の特製テーブルが出来ていて、皆で囲む昼食は大家族の様。次から次に料理が回って来て、口に運ぶ暇が無いほど。美味しいバイキングでした。風もなく、雪の上という事を忘れる程、あたたかい食事でした。
今年は今までより参加できると思います。楽しみです。今後とも宜しくお願いいたします。

この青空はもう春!

オニグルミ

サワフルミ

ヤマウコギ

 

 

  雪の大テーブルを囲んで

 トチノキ コナラの大木

春が来ていた 〜季節と体1〜    土井 昇

達沢の森は晴天の碧と雪の白とのコントラストが美しく、用意してくださったスノーシューを履いて絶好の条件下での観察会。森に入ると、にぎやかにたくさんの芽をつけ、小さな松ボックリを残して落葉松がしんと立っている。代表のお話が始まる。「沢沿いの様な場所は川の氾濫の後、自生している植物たちの繰り返しの歴史がある。けれど戦後の復興期は鉄道インフラの整備が求められ、当時独立採算制であった林野庁は枕木を目的に落葉松やエゾマツなどの植林を進めた。また、民間では家屋の建材用にと沢沿いにスギ、尾根にはアカマツを植林しました」そう聞いて見渡してみると、確かにこの辺りはそうした樹種があちこちに見られる。そこからすぐにミクロな世界へと視点を移し、冬芽や樹皮を観察し始めた。
 コシアブラは円錐で大きい芽を持ち、その下の維管束痕は横長にぐるりと王冠の様にとり巻いて、なかなかの風格。サワグルミは白い毛筆で青空に伸び、美しく清楚で品がある。サワシバは小さな芽と芽の感覚を充分にとって、わきまえたように散点しており、柔らかそうな苞葉はホップのよう。しっかりとした赤みが愛らしいツノハシバミ。水飴を浴びたように光るトチノキ。細い枝が赤紫に染まって季節を先取りしたようなミズキ。なんだか見ているだけでは勿体なくて、そっと芽を指の腹で押さえてみた。すると、まだ冷たい空気の中でもそこだけほんのり温かい。体温だ!と気づき感激が湧いてくる。生きて動くものの温かさが指を伝わって胸に響いてくるようだ。春が来ている。動いている。
 人間の体はどうであろうか。後頭骨が左右に広がり、肩甲骨が外に開き、骨盤も横広になる。四側と呼ぶ背骨から最も遠い体側方の領域が膨らんでくる。目覚めの季節に入っているのだ。内臓からの体液(リンパ)の移動が活発になって筋肉の間隙を伝わり関節で流れが調整される。この時、関節の痛みが出易くなる。立春から春分にかけては骨盤の右から左への働き(左への重心移動)がある。肝臓の働きを誘発することで骨盤の左右のバランスが調整されるが、関節の硬張った拘縮状態があるとホルモンの分泌も悪くなる。これら一連の動きを促すポイントは、なんと手の指の第2関節であるという。冬の突っ立ている立木のような肩をすぼめた姿から、春は体に膨らみが出るけれど、身体の変化を季節に順行させるための体操や呼吸がとてもとても大切になってくる。加えて心が膨らむような自然への共感、寄り添いにより五感がこぞって向いてくる時間の内に外界との一体感が成就する。もし仮に膨らみに欠けるところがあれば、そこに近しい人が手を当てその人と呼吸を合わせていれば欠けた部分にも充分に呼吸の幅が戻ってくる。整体では愉しい気で相手を包むことを愉気(ゆき)と呼んでいる。今日、この冬芽に共感し皆さんと親しく語らえたのは春のぬくもりを愉気してもらった至福の時。私の身体にも春が来ていて嬉しい気分で滝に向かった。
資料の写真と比べると、雪は一週間前からかなり少なくなった。杉や赤松の枝葉、人のかぶった帽子やジャケットなどに、風は透明な糸を引っ掛けたり、引っ張り回したり、叩きつけたりしていたけれど陽射しが強くなるにつれ、冷たい糸はぐんぐん弛んで、あちこちでほどけ、ぷちぷち切れたり、そのまま雪の上に落ちたりした。徐々に温まった雪の結晶たちは気取っていた体をリラックスさせ大きく伸びをする。水の分子が伸ばした手は多くの仲間たちとつながって丸く大きくなって重さに身を委ねていき下の仲間たちと連れ立って沢へと流れていく。沢を下るのはとても楽しいらしく急なところではジェットコースターの様に思わず皆大きく歓声を上げてしまうし、流れが狭くなってくると次々と岩場をすり抜けながら笑う。くっついたり離れたりしながらの春の旅・・・。
戻り道ではしみじみ歩く。往路で口に含んで苦みを味わったカンボクの赤い実がところどころにアクセントをつけ、ドライフラワーになったノリウツギは老いながらも貴婦人然としている。私は、おとなし気ではあるが沢山の小さな白い芽が鮮やかなシロヤナギに名残惜しく挨拶して大山祗神社の森へと向かった。 
追記:神の森として大切に守り続けてきた木地師の暮らしも時代と共に需要が減り、農家の作業を加えても大変になったので現在は外に働きに出たのだという。土湯峠を越えるのは大変なため多くは会津若松方面に行くと聞いた。巨木も多くみられたが枯れ木も目立ち、樹上に幾つものヤドリギを見た。生業とのつながりが薄れるにつれこうした風景が広がりつつあるのだろうか。この森を見つめ続けて来た木地師やご家族たちの複雑な思いは計り知れない。

雌滝

雄滝

雪上の飾り花(ノリウツギ)

くっついたり離れたりしながらの春の旅