奥羽山脈花回廊(11) 高旗山                         高橋 淳一        

 11世紀半ば源義家(八幡太郎義家)が奥州の豪族であった安倍氏との戦いの際、軍旗を掲げた山として多くのガイドで紹介されているが、登山口には、「宇奈乙和気神社由緒」なる説明板が設置されている。これによれば義家の時代から300年程遡る西暦780年4月3日、藤原鎌足の玄孫である大伴家持が山頂に祀られる「宇奈乙和気神社」に戦勝を祈願したところ、連戦連勝であったと記載されている。大伴家持と言えば「万葉集」の編者であり、優美繊細な作風で知られ、自身も多くの作品を残している歌人でもあった。「春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出て立つ少女」と春の美しさを詠んだ同じ季節に殺戮を重ねなければならない。いったいどんな思いをいだいたのであろうか。そして、奈良、平安、鎌倉時代と中央権力に翻弄された先人達は、何を思い続けたのだろうか。そんな想いを抱きながら悠久のドラマを秘めた山に分け入った。

登山口は源田温泉からの砂利道の林道を4km余り入り、道が平坦になった辺りにあった。100m程手前には15台前後は駐車可能と思えるスペースが確保されている。「参道入口、本宮まで1640m」「高旗山ハイキングコース現在地から山頂1100m」と二つのコース案内看板が設置されているが、その数値の違いが余りにも滑稽だ。ミズナラ、アカマツ、カエデ類の混交林から始まる道は明るく、チゴユリ、ツクバネソウの葉が日光を受けて輝いている。100m程進むと、木々の間から町並みが視界に入るようになった。足元に視線を落とせば、タチツボスミレの小さな花が名残惜しそうに咲いている。ヤマジノホトトギスも見られるが、こちらは花の時期までたいぶ間がありそうである。と「トウキョウトッキョキョカキョク」特徴的な鳴声が聞こえてきた。ホトトギスである。花の時期を外れて訪れた自分に気を使ってくれた訳ではなかろうが、五感をくすぐるようなタイミングに思わず口元がほころんだ。やがて、ミズキ、ホオノキ、クリ、イタヤカエデ、ハクウンボク等の高木に上空を覆われた道となった。日差しが遮られ、涼しいせいだろうか、花期の遅れたヤブデマリやミヤマガマズミの花が咲いていた。そして葉の中心に花を付ける独特な形態を有するハナイカダも見られた。ブナ、ハリギリと風格のある樹木が右手の斜面に見られるようになると、一旦、小尾根に出る。廻りこむように進めば、鮮やかな紅紫色の花とは好対照な黒っぽい幹肌のオオヤマザクラが威容を放っていた。

右手の谷間には唯一の水場がある。しかし、真夏には涸れてしまうほどの僅かな水量である。また、周辺にはエゾアジサイが散見されるが花の時期はもう少し後のようだ。水場を通過すればカラマツの植林地に入り、間もなく富岡方面(高旗鉱山跡)からの分岐に出会った。山頂まで775mと道標が示すようにコースのほぼ中間点であると同時に、「宇奈乙和気神社本宮」への参道であることを実感させる雰囲気が漂っている。緩やかな傾斜の道沿いには、アカマツ、ミズナラ、リョウブ、カエデ類の樹林にヤマツツジ、タニウツギの赤や淡紅色の花が彩りを添えていた。100mおきに付けれている案内板を見ながら山頂直下の鳥居付近まで登ると、ブナが優先する森となった。大木ではないが、存在感のある樹木は、ご神木として崇められてきたのだろう。鳥居を潜り、数10m進むと満開のヤマツツジと360度大展望の山頂に到着した。山頂には祠が祭られている他、高さ1m程のコンクリート製「天測点」が設置されていた。「第15号」「地理調査所」と記された文字は、1000年以上の時を経てもなお要衝であることの証明であろうか。一等三角点でもある山頂からは、北は吾妻、安達太良連峰、南は那須連峰、東には田植えを終え、緑色に染まった水田に囲まれた郡山市が一望できた。そして、西方の山並みの間には、紺碧の水面に白波を立て、キラキラと輝く猪苗代湖があった。

参考タイム【源田温泉(徒歩1時間)登山口(40分)富岡方面分岐(30分)山頂(50分)登山口(55分)源田温泉】

アドバイス:源田温泉までは郡山駅から三森荘行きが1日3本出ているが、時間帯はいずれも午後となっている。タクシーかマイカー      がよい。水場は6月以降涸れることを前提に事前に準備のこと。標高が低いにも関わらず山頂での風が強い。夏季以外は防寒対策を充分に。

高旗山のシロブナ

ハナイカダ(雌株)

キクザキイチゲ

ラショウモンカズラ

オウレン

高旗山頂からの展望

戻る 花回廊目次へ