奥羽山脈花回廊(17)一切経山

                                        佐藤   

その昔、仏教聖典の一切経(いっさいきょう)が埋められたという故事に由来する一切経山は、今も火山活動を続ける活火山である。明治26年の大爆発の際には、調査中の技師2名が殉職している。昭和に入ってからは1950、1952、1966、1977-1978年とほぼ10年ごとに小噴火を繰り返している。現在は噴煙こそみられないが、周辺の硫黄沢では硫化水素ガスによる事故が発生している。山頂付近は岩礫に被われているが、傾斜面では砂礫が階段状に堆積している。構造土と呼ばれるこの幾何学的な模様は、厳しい季節風により砂礫が凍結と融解を繰り返して形成される周氷河地形の一種である。堆積した砂礫に沿ったわずかな風の緩衝地を縫って植生が発達するため斜面では縞状に植物群落が展開する独特の景観が見られる。このような一切経の植生は高山植生の始まりとも言えるものである。

浄土平(標高1570m)から一切経山(1948.8m)に登り、酸ヶ平から鎌沼(1760m)、姥が原(1780m)を散策し、蓬莱山を経由して浄土平に回遊するこのコースは、森の発生から成熟までの様々な遷移の過程を観察できる貴重な山域である。一方で、いともた易く車で横づけできるこのスポットは高山植物の盗掘や外来植物の移入、ゴミ投棄等の極めて深刻な環境問題を内包している。

 浄土平ビジターセンター前から浄土平湿原の周回木道があるのでこちらを散策しながら行こう。ここではイワカガミ、イソツツジ、クロマメノキ、マルバシモツケ、コバノトンボソウ、ハクサンチドリ、エゾオヤマリンドウ、ヤマタヌキラン等の花が楽しめる。また7月下旬頃にはウマスギゴケの大群落が湿原一帯を赤く染める。木道から登山道に出ると間もなく酸ヶ平からの小さな沢が横切る。噴石が散在する湿原末端部のこのあたりは、矮小化したキタゴヨウマツやミヤマハンノキの植生が目立つ。沢手前の標識が設置されたところが一切経への直登コースの登山口である。ガレ道は間もなく傾斜がきつくなる。一旦、急坂がなだらかになるあたりには大岩が鎮座し足元には噴火口が確認できる。登山口からこの当たりまでが、明治以降の噴火の影響が最も生々しく殆ど裸地状態だが、それでも岩礫の周辺にはミネヤナギ、マルバシモツケ、メイゲツソウ、ガンコウラン、キタゴヨウマツなどの植生が見られ、その株元にはイワカガミ群落が形成されている。噴火口を過ぎると一転してマルバシモツケやクロマメノキ、シラタマノキの群落で被われた急峻な斜面となる。登山口から30分ほどで平石山との鞍部に出る。酸ヶ平への分岐を左に見て一切経の西斜面を捲くように進み、一切経への登りに取り付く。斜面上部は剥き出しになった岩が重なる荒涼とした風景だが、登山道周辺ではクロマメノキとマルバシモツケの大群落が形成され、その株元にはイワカガミやチングルマ、コケモモ、ガンコウラン、シラタマノキ、ヤマハハコなども見られる。緩傾斜を行くと、やがて潅木の植生が切れ、砂礫の稜線に開かれた道となる。季節風の直撃を受けながら歩くと程なく頂上である。頂上には大きなケルンが築かれている。天気がよければ360度の大展望と家形山側との間に形成されたカルデラ湖・五色沼の神秘的な濃紺の湖面を堪能できる。

酸ヶ平への分岐まで登山道を戻る。砂礫の登山道の下りでは、縞状の植生を見せる構造土の斜面の先に吾妻小富士が大きく見える。分岐から沢沿いに下り、沢を渡ると酸ヶ平避難小屋に着く。沢周辺はチシマザサに被われているが、登山道に沿ってマイヅルソウとミツバオウレンの大群落が形成されている。酸ヶ平避難小屋からは木道が設置され、すぐに浄土平からの木道と合流する。道標に従い鎌沼方面に向う。酸ヶ平は明治時代の噴火沢が堰き止められて形成された湿原で100年程しか経っていない若い湿原である。一帯はミズゴケ類やウマスギゴケ、モウセンゴケに覆われ、イワカガミ、ワタスゲ、イワオトギリ、ツマトリソウ、コバノトンボソウ、ネバリノギラン、ハクサンチドリ、ミヤマリンドウ、エゾオヤマリンドウ、シラネニンジン、ヤマタヌキラン、カワズスゲ等が湿原を飾る。小沼の周辺ではコバイケイソウが小群落を形成しつつある。

やがて、三日月型の鎌沼に出る。鎌沼は火山活動で形成された蓬莱山によって堰き止められてできた沼である。透明感のある湖水は四季折々の光を反映して美しく輝く。北側は前大巓のササに覆われた大斜面が広がる。この一帯は北西の風雪の吹き溜まりとなるため、初夏まで残る雪の影響で森林が発達しにくい。その湖岸付近の一角には吾妻連峰の雪田でよく見られるコバイケイソウの大群落が発達しており、白い花の集団が清涼感を誘う。木道が前大巓の裾野を捲く斜面ではクロウスゴが目立つ。クロウスゴの花はベルフラワーでストライプ状にピンク色が混じるが、花の変異が多い。特に全面深紅色に染まるタイプの株は同一種とは思えない。やがて登りの木道との分岐点に出る。付近にはゴゼンタチバナやエゾオヤマリンドウの群落が見られる。木道を登ると東吾妻山方面と谷地平方面に再び分かれる。ここからは、散在する岩塊を被うようにクロマメノキやマルバシモツケ、ガンコウランなどが繁茂し、コメツガ等の針葉樹がコロニー状に植生する平地が鎌沼に沿って広がる。姥が原である。姥が原はその植生上の特徴から、浄土平、酸ヶ平よりもかなり古い時代の噴火により形成された湿原であると推定されている。この高台から一切経、蓬莱山方面の鎌沼を配した景観は高原を連想させる多くの要素がバランスよく構成されており一見の価値がある。またここから谷地平口の間に植生するクロミノウグイスカグラは、この山域ではここでしか見られない。

木道を下り鎌沼湖畔を辿る。分岐部の小湿原では少ないながらもワタスゲが確認できる。やがて木道にチシマザサがかぶるようになると矮小化した林に入る。ここではオオシラビソ、キタゴヨウマツ、ミネザクラ、コメツガ、ミネカエデ、クロヅル、ムシカリ、クロウスゴ、サラサドウダン、コヨウラクツツジ、ハクサンシャクナゲ等が潅木状にコロニーを形成し、林床ではツルシキミやツルツゲ、マイヅルソウ、ヒメイチゲ、ミツバオウレン、ゴゼンタチバナなどが植生する。構成種から東吾妻山のオオシラビソ林への遷移過程とも見られ、姥が原の歴史の長さを暗示している。林を抜けると湖岸の視界が開け、軽快な木道歩きとなる。一帯はチングルマの大群落が形成されており、他にワタスゲ、コケモモ、イワカガミ、クロマメノキ、ミネヤナギ、ミヤマネズ、ミツバオウレン、ガンコウラン、コバノトンボソウ、シラネニンジン、イワオトギリ、ミヤマリンドウ、エゾオヤマリンドウ、ミヤマアキノキリンソウ等が植生する。

鎌沼を離れ東吾妻からの木道と合流して下りとなる。鎌沼からの沢を渡りクロマメノキとチシマザサの平原を暫く行くと蓬莱山の樹林帯に入る。この林は矮小化したキタゴヨウマツ、ナナカマド、ハクサンシャクナゲ、アズマシャクナゲ、ミネザクラ、ミネカエデ、ミヤマハンノキ、ネコシデ、ダケカンバ、オオシラビソ、コメツガ、クロベ等で構成されている。登山道沿いにはアカモノ、イワナシ、ムラサキヤシオ、クロマメノキ、クロウスゴ、ミツバオウレン、ゴゼンタチバナ、ツマトリソウ、オオバノヨツバムグラ、マイヅルソウ、シラタマノキ、ハナヒリノキ、ミヤマホツツジ、クロヅル、ハクサンシャジン、ウメバチソウ等の花が観察できる。林を抜けると湿地帯を経て酸ヶ平からの登山道との合流点に出る。


[アクセス・コースタイム・アドバイス]

浄土平へは、JR福島駅からバスで1時間10分。但し、運行はスカイライン開通中となるので運行時間等は福島交通(TEL024-533-2131)へ照会されたい。マイカーの場合はスカイライン高湯ゲートから約30分、土湯ゲートからは約40分。
ビジターセンター(5分)登山口(60分)一切経山頂(30分)酸ヶ平避難小屋(30分)東吾妻、谷地平方面分岐点(40分)浄土平
駐車場は浄土平のほかに栂平入口の兎平にもある。水場は途中の小沢が利用できるが、予め用意した方が良いだろう。入山前にビジターセンターで予備知識を入れておけば、より充実した観察が楽しめるだろう。一切経の稜線付近は強風が吹き荒れるので悪天候時は無理をしない。直登コースは急峻である。登りは酸ヶ平避難小屋経由のコースの方が体力的に余裕がある。観光地であるが、一帯は高山であり、国立公園特別保護地区である。植物の採種禁止は勿論のこと、野生動物を疥癬症(かいせんしょう)等の感染から保護するため犬連れも遠慮すること。

2万5千分の1地形図

「土湯温泉」「吾妻山」


ベニバナイチヤクソウ

イワオトギリ

一切経山遠景

クロヅル

モウセンゴケ

ムシカリ

チングルマ

ヤエハクサンシャクナゲ

エゾオヤマリンドウ

一切経花マップ

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