東北ブナ紀行(9) 奥田 博

 つい数年前までは日本一と日本二のブナは秋田県にあった。その一番は「白岩岳」の中腹にあるブナの木、そして二番は小影山の山頂部にある。この2本のブナ木を中心に写真と文で綴った写文集「千年ブナの記憶」(文:塩野米松、写真:千葉克介、案内:佐藤隆)がある。文は直接的な2ヶ所のブナにまつわる話ではなく、ある章では人とブナの関りを、ある章では生命の不思議を、ある章では虫や人の生き様を物語風に進めていく。写真は勿論、文章に合った詩的な内容である。この2本のブナの発見者は佐藤隆さんであるといわれる。一読したい本である。

17)小影山

 小影山には観光客でにぎわう湯瀬温泉に近い神代ダムから歩き始める。何の案内板もないので、地図を頼りに登る。コースは送電線管理用の急坂を登るか、その北側の尾根に付けられた藪道をたどるかであるが、迷わず森の中の藪道をたどった。

尾根にはかすかな道があり、森に入ると太陽の直射から逃げられ、風を感じるようになる。しばらく急坂を登ると、山頂の一角にたどりつく。北側は伐採されて見通しがいい。そこから息を整えて歩けば、切り開きに出た。これを横断するとブナの素晴らしい森に入る。

入口から見事なブナに迎えられる。遊歩道のような道の両側には見事がブナの森が続く。お目当てのブナは藪をかき分けて出会うが、何本にも分かれて、そんなに大きなブナには思えない。確かに根元は時代を感じさせるものの、威圧感とか年輪とかいうものは感じさせない。そんなところは人間と同じで、それぞれに感じさせる味わいは異なるものであると思った。道に戻って下り坂をたどると、たくさんの表情豊かなブナが個性を競っている。自分の気に入ったブナを見付けて、その下で弁当を広げ、お茶を飲み、至福の時間を過ごした。
(コースタイム)登山口(80分)山頂(60分)登山口

18)白岩岳

 一番太いブナといわれる木は、白岩岳から西に派生する尾根にある。アプローチは開削された林道(快適に車が走れる)を標高700mまで登る。「日本一のブナ」を見るのに、痛々しい林道を車でアプローチするのは、少し矛盾を感じる。この峠状から尾根を南に下る訳だが、尾根は薮道と聞いていたから覚悟してかかる。ところが、尾根には立派な踏み跡が付けられている。かなりの人が通った証拠だ。しばらく歩くと、キノコ取りの一行に出会った。最後尾の爺さんが「どこさゆぐ?」と聞かれ「ブナの木見に」。「道大変だぞ」「・・・」。「熊よげのバクチグは持ってるが」「笛持ってます」「・・・」。これだけの会話だったが、その言葉には「最近、ここに入る輩が多い。昔は静かで、人何ぞに出会わなかった。事故でも起こされたらタマンナイ。だいたいキノコが取れないのは、こんなヤツラが入ってくるからだ」という意味が込められているような気がした。
 急な下りになると、ブナよりのヒバの方が林を優占している。その間にはミズナラやブナの太い木が散見される。「昭和四十四年十月」と彫られた太いブナも見られたので、案外古い時代から歩く道が形成されていたのかも知れない。

 長い下りののち、ついに「日本一のブナ」にお目にかかれた。とにかく500年程度は経過した風格が感じられるブナの木だ。太い外径は4メートル80cmといわれ、大人四人がやっと外周で手を繋げるという位だ。深い皺、高い樹高、空に向けて広げる腕のような枝、地に広げる根、おびただしい数の去年のブナの実。周囲はヒバの林で、殊更暗い。実に魑魅魍魎とした世界なのだ。以前に見た樹齢800年の大杉も怪しい雰囲気が漂っていたが、こちらも、それに負けずに凄い。確かに500年以上も生きているという威光を放っているかのようだった。大木は言い知れぬ怪しい雰囲気と共に畏敬の念を抱いてしまう。その神秘性と温かさに惹かれてしまうブナであった。

(コースタイム) 登山口(1時間)大ブナ(1時間)登山口


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