東北ブナ紀行(57 奥田 博

  「大震災が教えてくれたもの」(]V)

原発事故から4年を経過して

 今年3月11日の朝日新聞には福島県民世論調査で、放射性物質が家族や自分に与える影響への不安を尋ねたところ、「大いに感じている」は29%、「ある程度感じている」は44%で、「感じている」は計73%にのぼった。「感じていない」は、「あまり」21%、「まったく」の5%を合わせて26%だった、という記事が掲載された。また国民の間で原発事故の被災者への「関心が薄れ、風化しつつある」は71%で、一昨年、昨年と同様、7割を超えた。「そうは思わない」は24%だった。福島第一原発の事故は「福島の事故」ではない。「日本の事故」であり、しかも人類史に残る原子力災害である、とも述べている。


 事故から4年がたつ今なお、12万人もの福島県民が避難を強いられ、全都道府県に分かれて暮らす。事故の被災者のためのわずか4890戸の復興公営住宅でさえ、完成したのは260戸余り。そんな問題の深刻さに反して、年末に行われた選挙結果を見ても、原発問題が争点化することはなかった。一方で、政権は着々と再稼働へ向けた手続きを進めている。意識の変化という意味では、放射能の影響に関心を持つ人が急増し、原発反対のデモに多くの人が集まった。震災前は考えられなかったことだし、世論調査でも半数以上が再稼働に反対だと答えている。しかし、こうした声が代表制民主主義に生かされない。本当に原発のリスクを減らしたいなら、「原発やめろ」と叫ぶだけでは力にならないことが明白になった。

  問題は単純ではない。なぜ原発が過疎地に集中しているのか。リスクを押しつけられている地元住民がむしろ再稼働を望むのはなぜなのか。原発の交付金がなければ明日の暮らしに困る過疎の現実。都市住民も地元住民も一致できる着地点を探さなければ、政治を変えることなどできない。いったん頼った原発をゼロにすれば、雇用や経済などで発生するコストを分かち合う覚悟が問われる。現存するリスクを薄く広く「痛み分け」することも考えねばならない。被災地外の人が震災がれきを受け入れることを拒んだり、被災地の農産物を買うことを過剰に避けたりすれば、痛みを押しつけた人をさらに踏みつける結果になる。やせ我慢であれ、そんな心を持てるかが問われている。1回の選挙ですべてが変わるような問題ではないので、あきらめてしまうのは政府の思う壺です。原発のリスクを減らすことは誰もが望んでいるはず。投票にあたっては、私たちはどういう社会を選ぶのかという戦略的な視点を持たなければならない。たとえばアベノミクスは、格差の解消よりもまずは富裕層を増やし、その富をいずれ広く行き渡らせるという。うまくいったとしても、都市と地方の格差の中で原発をつくり、見返りの交付金で地元は身動きが取れなくなった歴史を繰り返すことにならないか。

 昨年末に国道6号線が南北に繋がったので、車で走ってみた。多くの車両が行き交い、渋滞こそ起きてはいなかったが、4号線並みの通行量だった。多くは原発廃炉や除染に関わる業者だろう。3月13日には中間貯蔵施設福島県内の除染で出た汚染土などを、初めて同県内の建設予定地内に運び込んだ。この日を起点に最長30年にわたる保管が始まれば、さらに交通量は増える。原発入口を越えると車内で5μSv/hを越えていた。

原発前を通過、使われていない送電線

 

 

富岡駅は改札口もホームもそのままだった。(年末撮影・年初から撤去工事が始まった)後ろには黒い袋が山積みだ。 

楢葉町の天神岬から見下ろす。眼下には除染袋がグリーンシートに覆われて並ぶ。遠く三森山から屹兎屋山の尾根 


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