東北ブナ紀行(52 奥田 博

 「大震災が教えてくれたもの \

今回は「原発の話」に戻ります。それは廃炉に向けた第一歩、燃料棒の取り出し〜極めて危険な作業〜が始まったので、その辺のお話をしておきたいと思った次第。不定期に「原発」テーマに戻ることをお許しください。
 先月、久し振りに浪江町境界の手倉山を歩く機会がありました。葛尾村役場の東側から県道に入ると、住民の姿は見えないが除線作業に取り組む人と作業車で活況を呈している。古道ダムの分岐で車は通行止めの看板と柵に遮られる。ここからは、高瀬川に沿った道を歩く。何も変わった様子も無く、平和な風景に見える。ひと気のない人家が現れると周囲の草木はキレイに取り除かれているが、おおよそ1μSv/h前後の数値で推移している。大きくカーブすると、手倉山の急峻な山が見えてくる。放棄された田畑ときれいに刈られた庭が寂しい前景だ。登山口の鳥居の脇には、立派な道標が建っている。登山道を入ると、葉を落とした明るい雑木林が美しい。尾根に出ると、太いアカマツやコナラ、常緑のアセビが多くなる。線量が急に増えたのは、山頂神社の真下、丁度南からの登山道との合流地点だった。4μSv/h程度ありホットスポットだろう。枝越しには第一原発の5・6号機が見える。神社裏の岩場で北東側の展望が得られ、人の居ない空間が広がっている。この岩場の線量は低い。ここから奥のピークへ登ると、青い海と第一原発の5・6号機が、しっかりと眺められた。何ともやりきれない風景だった。
東京電力福島第一原発4号機の使用済み核燃料プールからの燃料取り出し作業が、11月18日午後から始まった。 報道の多くは、東京電力の発表した資料を元に、「廃炉へ新段階」と報じている。実は今回の作業にはとてつもない危険がつきまとっている。4号機は1〜3号機とは違ってメルトダウンは起きていない。しかし、水素爆発で破壊された建屋上部にある燃料プールには、1533体もの燃料棒が残されたままになっている(うち未使用は202体)。補強された建屋も倒壊する恐れもあり、燃料棒の取り出しは一刻を争う急務でもある。
 とはいえ、事故を起こした原発での取り出し作業は世界初のことで何が起こるかわからない。当然ながらリスクもわからなというのが正直なところ。作業工程としては、@燃料棒を水中から取り出し、A4.5メートルもの長さのある燃料棒が入るキャスクとよばれる金属容器に収納し、B大型クレーンで吊り上げトレーラーに運ぶ。C再び仮置き場の水中へ格納する。この極めて微妙で複雑な作業を不安定な状態の中、作業員の経験と勘だけで進めなければならない。仮に燃料棒がちょっとでも水中から露出したら、それだけで作業員は深刻な被曝を覚悟しなければならないという。
 もっとも恐ろしいのは、クレーンからのキャスクの落下である。22体の燃料棒がギッシリ詰まり、約100トンもあるキャスクが地上に落ちれば、想像を絶する事態になる。作業員が近づくこともできないまま、大量の放射性物質が大気中に放出され続けることになるというのだ。
 東電によると、1533体の燃料棒の取り出しは2014年末までかかるという。つまり、こんな危険な状態が一年以上も続くというのだ。現政権も東電も、「事故は起きない」という根拠のない“安全神話”を前提にして作業を開始した。
 にもかかわらず、事故を前提とした大規模な避難計画は示されていない。12月12日、初めて原発構内作業員及び避難地区に一時帰宅している双葉町と富岡町の住民(作業員+住民5000人超)の情報伝達訓練が行われたと報じられた。放送や携帯電話による情報伝達は確かに大事だ。しかし世界で誰も経験したことのない「超危険作業」が手探りで始まったことを自覚して避難訓練を行うべきだろう。昨年の号でも述べたことを繰り返して終わりたい。帰宅を進める自治体、区域外の自治体も同様、何の訓練も行なわれてない。近隣のいわき市、南相馬市、双葉郡各町、相馬市、新地町、川内村、葛尾村、田村市、、、、、最悪は東京や仙台だって風向き次第では射程距離なのだ。この燃料棒取り出しを機会に取組んで欲しいと切に願う。


除染袋の向こうに手倉山


第一原発4・5号炉が見えた


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