東北ブナ紀行(49 奥田 博

 「大震災が教えてくれたもの Z線量計を携えた山旅

福島市を含む原発80km圏内の放射線量が、1年半で半減したと伝えられた。これは文科省のヘリによる調査を原子力機構が分析した結果だ。減少スピードが計算上よりも早いのは、除染によるものではなく、風や降雨などの自然環境による減少が主な要因。この数値は、我々が霊山で2年間計測した結果とも一致する。「除染しても線量が元に戻る」という話はよく聞く。これはまさに放射性物質が風で漂い、雨で流れた結果によるものだ。山で線量を計測していると、次第に線量が平均化していることに気付くのは、まさに放射性物質が拡散と攪拌によって薄く広く分布された結果によるものと考えられる。

大震災から2年を経過した今年3月11日の前後に、大震災に関わる放送が相次いだ。大地震のメカニズム、大津波への対応、復興の遅れなどが報道された。原発事故もまた、各局が取上げ報道された。その中で印象的なのは、多くの人々が避難所暮らしの中で、未来を見通せない生活の苦しさ。今だ31万5000人が避難生活を送っている現実。さらに廃炉に向けた作業の困難さや課題が浮き彫りにされた。原発事故後の厳しい現実が伝えられていた。

しかし昨年末に行われた衆議院議員選挙で、原発を推進する党が圧倒的な数で躍進した。もっとも驚かされたのは、原発事故当事県である福島県ですら、原発推進党が圧勝したことだ。忘れやすい日本人と揶揄されても、あまりにも忘れやすく、現実を見ていないことに驚かされた。原発事故は争点にならないように、報道も控えめだったこともあるだろう。小選挙区制度の問題もあるだろう。しかし現実は選挙結果により、確実に日本全国の原発は稼働を始めるだろう。我々は、そんな政党に一票を投じたのだから、これで10年、20年経った時に原発が止まっていることはなくなった。事故直後、日本全国で行われた節電は、すっかり忘れられ、街ではネオンが輝き、電車の間引き運転はなくなり、工場や家庭での節電話しは聞かなくなった。そして東北電力まで値上げ申請された。

3月9〜10日にNHKで放映された『メルトダウン〜原子炉「冷却」の死角』は、原発事故の原因の核心に迫る内容で面白かった。なぜメルトダウンは防げなかったか。慣れない(訓練をしたこともないので当り前だが)事故対策の遅れ、特に電源喪失への対応に関しては、大混乱の中で試行錯誤していたことが分かってきた。個々に見ていけば水位計の欠陥、復水器の欠陥、外部注水の欠陥、全体システムの欠陥等々。福島原発事故の原因究明が行われていない内に、大飯原発は稼働し、今後も再稼働が続くだろう。危うい原発の運用は次第に増え、やがて忘れやすい国民は、それが当然のごとく受け止められていく。ソフト面・体制面の課題〜避難方法、ヨウ素剤の配布法など〜もなおざりにされていくだろう。3月18日午後7時頃に電源を喪失し、1、3、4号機の使用済み核燃料プールと共用プールの冷却装置が29時間にわたって止まる事故は、改めて東電の危機管理の甘さをまた露呈した事故だった。そして帰宅を進める自治体、区域外の自治体も同様、何の訓練も行ないなど危機管理はなっていない。この事故を機会に取組んで欲しいと願う。
 現在の原発避難区分は、住民を町へ戻すための区分に細分化され始めている。警戒区域、計画的避難準備区域、避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域。警戒区域と帰還困難区域以外は自由に人は出入りが可能だ。年末に、佐藤守さん、小幡さん等と居住制限区域の山である飯館村の野手上山を歩いた。車を降りると線量計は4μSv/hを超えている。防護服を着た方がいいような久し振りの緊張感。この山は森が素晴らしく、ケヤキ、サワグルミ、イヌブナ、シデ類などの大木が見られる。その森に入ると、アカマツを交えた雑木林の線量は高く、6μSv/hを超える個所が多い。地面に近い場所では10μSv/hを超えていた。ここに来ると原発事故の収束など程遠いことが実感できる。飯館村の草ボウボウの田んぼや畑。その周囲を囲むように、このような汚染された山が迫り、汚染された森が覆う。除染など技術的には困難だろう。今後30年間は、人が戻れない場所かも知れないと思わせた。

 

 (写真)落葉に覆われた登山道は6μSvを超える


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