東北ブナ紀行(47 奥田 博

 「大震災が教えてくれたもの Y〜再臨界と国民的議論〜

2011年12月16日野田首相は「原子炉は冷温停止状態」と述べ事故「収束」を宣言した。それを受けて26日、今までの原発事故区域設定を「警戒区域」「計画的避難区域」「緊急時避難準備区域」のゾーニングを「避難指示解除準備区域」「居住制限区域」「帰還困難区域」の区分に変更した。これを受けて今年7月からは「避難指示解除準備区域」では、住民は帰宅を始めている町村が出てきた。当然、小中学校や幼稚園、保育所もしかりである。

 ここでもう一度、事故を起こした原発の状況を整理しておくと、(単位はミリSv/hに注意)

1号機:カバーが出来て、以前の爆発建屋は見えなくなっているが、10,300ミリSv/h(地下1階)

2号機:建屋が原形を留めるが、最大放射線量の72,900ミリSv/h(格納容器周辺)

3号機:最も爆発の損傷が激しいが、放射線量は最小の1,600ミリSv/h(建屋1階)

4号機:燃料プールに燃料1533体を保管中。0.33ミリSv/h

 現在でも事故を起こした4つの原子炉からは、恐ろしい数値の放射線量が放出されていることを認識しておくべきだ。数値に関してのモニタリング体制は整っており、再臨界の場合でもホウ酸投下などの措置が取られる体制にはなっているとのことだ。一方、3号機建屋は大きく傾き、次の大きな地震には耐えられないということも伝えられる。さらに注水冷却システムは相変わらず配管などのトラブル続きだ。この無数に張り巡らされた配管(総延長数10キロに及ぶ)が、次に起きる地震に耐えられるかどうかは、大いに疑念がある。そして今後、技術的な問題が解決したとして、原子炉から燃料を取り出すまでの20年間、人為的なミスを起こさないで「冷温停止状態」が継続されることを誰が保証出来るのだろうか。少なくとも大飯原発再稼働よりも現在の福島第一原発はリスクが高いことを認識すべきだ。

 現在行われている帰宅が、そんなリスクをはらんでいることを、住民に認識させるべきだ。マスコミ報道を見る限り、元気に帰村し、風評被害を吹き飛ばし、家族揃って元の生活の喜び、などリスクなどは何も無いかのような状況ばかりが目につく。学校や家庭では、再臨界が起きた場合に、どう対処するのかをマニュアル整備や訓練などで認識すべきだ。例えば避難行動のためのSPEEDIは本当に機能するのか国や県に事前確認と行動計画を作成するべきだろう。子供のいる家庭や学校では、ヨード剤を常備し、役場や医師の指示で速やかに服用する体制作りなど、課題は多くある。9月1日の防災の日にやるべきことは、再臨界を想定した行動計画作りだったが、福島県のどこの市町村も行ったとは聞いていない。

 再臨界は簡単に起きるものではないし、起こしてはならないことだ。東電は、そのための技術的課題には取り組んで欲しい。一方、県や市町村では帰宅を始めた「避難指示解除準備区域」は、現在も「緊急時避難準備区域」であることを認識した上で住民に対しての避難体制や救援体制、うまく機能しなかった体制面(例えば連絡体制など)でのやるべきことは多々ある。

 現在自称「国民的議論」によって脱原発か否かが問われている。公聴会で「原発事故で死んだ人間はいない」と無神経に述べる愛社精神を持った電力会社社員がいる限り「原子力村」の存続は間違いない。命からがら逃げ出した双葉郡の人々や半信半疑で逃げ出した浪江町民、原発事故後何も知らずに住み続けた飯館村民。今は避難所暮らしを続ける彼らの心を逆なでし、これから何十年も不安に苛まれながら生き続けなければならない生き地獄を彼らは知らない。また原発20km圏内の病院に入院中の重篤患者や老人施設入所者に100人近い死者を出したのは、原発事故の犠牲者であることを無視している。

 

 

事故前の福島第一原発(日隠山から)、

 
 事故後の福島第一原発(猫鳴山から)


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