東北ブナ紀行(44 奥田 博

 「大震災が教えてくれたもの V」〜事故後20年の自然誌〜

佐藤守さんが「放射能汚染を抱えて福島の自然保護は何から手をつければいいのでしょうね。今のところこれはと言う自然保護の専門家や活動家からの意見は聞いたことがないです」というメールが届いた。福島原発事故の25年前に起きたチェルノブイリ原発事故。その後のチェルノブイリを自然の推移を切口にした『チェルノブイリの森』【Wormwood forest a natural history of Chernobyl(訳中尾ゆかり)2005初版、日本語2007初版】を読んだ。サブタイトルが「事故後20年の自然誌」とあるように、原発により自然はどう影響を受けたかという375ページに及ぶレポートだ。
 著者のメアリー・マイシオはウクライナ系アメリカ人。ロシア語が堪能な彼女は、1986年4月26日に起こったチェルノブイリ原発事故を15年経った2001年から取材し2004年に書き上げた事故後約20年の報告である。タイトルの通り、高線量の被ばくをした自然の20年後を中心に調査・報告している。
 結論からいえば、高線量地帯に人は避難していなくなり且つ立入禁止になって20年を経過して、大自然は豊かな森となり、動物達が安心して生息する場所になっていたのだ。動物にとって最も有害なのは「人間の存在」そのものだったのだ。動物、鳥、昆虫、魚、植物などが生き生きと育ち、楽園を形成し、中には貴重種なども増えてきている。20年を経過しても今なお高線量の森であり、渡り鳥はアフリカやヨーロッパに放射線を運び拡散に寄与している。375ページの内容を1ページに要約する能力はないので、私から借りてでも読んで欲しい一冊だ。
 高線量の元では、植物は色々な変異を起こすが、それは樹種によって、その影響・数値が異なる。年間10mSv以下を低線量、10〜50mSvを中線量、それ以上を高線量とすれば、変異が見られるのは高線量地帯の森である。そんな中での動物の変異は、奇形で生まれた子は、生きて行けなく淘汰される。結果として、中〜低線量環境下でスクスクと生きているのが実情とも読める。
 人間に当てはめれば、高線量での影響は明らかだが、低線量による影響はまったく分かっていない。分かっていないから「問題ない」という科学者と、「分からないなら問題あり」と考える科学者。裁判になれば証拠不十分で「低線量では問題あり」が有利であると思うのだが。
 12月にチェルノブイリ視察から戻った清水修二(福島大学副学長)さんの講演会を聞いた。チェルノブイリと福島の違いを切口に多くの事例を聞けた。放射能汚染下の福島における自然保護という意味では、ロシア・ベラルーシとは大きくかけ離れているのだ。広大な平原の広がるベラルーシの土地と、山の迫った日本の土地。除染も投資対効果でやらないベラルーシ。強制的に土地や家屋を放棄できる国と、地方自治と個人資産の認められた国では事情は大きく異なる。この国では、放射能に汚染された場所の自然保護に思いを馳せているのは佐藤守さん位だろう。『チェルノブイリの森』に以下のような件がある。

 

アフリカの越冬地から帰ってきたばかりのコウノトリが、赤い長い脚をリボンのようにたなびかせて、畑の上をすべるように飛んでいる。ディチアッキーという村にゾーンの南の検問所があり、そこからほんの数キロ離れたところでコウノトリの二十羽の群れが、鍬きこんだ畑で餌をついばんでいた。一か所でこんなにたくさんコウノトリを見るのは初めてだった。

 12月のある日、田んぼで白鳥が数羽、稲株をついばんでいた。一昨年まで餌付けをしていたが、鳥インフルエンザを運んでくるという理由で、餌付けを止められた。人間の一方的な理由で、白鳥は自然な姿で餌をついばむ。この稲株はセシウムに汚染されていることだろう。やがて多数の白鳥は、遠くにセシウムを運び地球規模で放射能は拡散していく。人間の仕出かした愚かな行為と、犯した罪の大きさを見る光景だった。

 


戻るブナ紀行目次へ