東北ブナ紀行(43 奥田 博

 「大震災が教えてくれたもの U」〜阿武隈の登れない山〜

かつて宮沢賢治は福島駅に降り立ってこんな暗示的な詩を残していた。

 

あれが巨大な阿武隈の

片麻岩系の山塊であるが

そのいちばんの南のはじから

巨きなひかる雲の塊ものぼる(以下略)

造園家とその助手との対話

 

賢治が詩の中で予見したように福島市の南のはじから巨きなひかる雲の塊」が押し寄せて来た。美しい自然に囲まれた町を放射能という目に見えない魔物が襲ったのは、3月15日深夜のことだった。ブルームと呼ばれる雲に乗って北上、飯館村、浪江町、伊達市、福島市などの町に雨やミゾレに混じって降下した。

 

福島原発の半径20km圏を警戒区域とされ、立入禁止措置がとられ、人は全員避難させられている。30km圏も緊急時避難準備区域とされ、住んでいる人は少ない。さらには計画的避難区域と呼ばれる放射線量の高い30km圏外にも、人影を見ることは少ない。これら政府の指定した「区域」には阿武隈の多くの山が含まれている。登山道の整備された山の名前を挙げると、28座にも及ぶ。

 

・半径20km圏内 警戒区域(立入禁止)=八丈石山、懸ノ森、手倉山、十万山、戸神山、日隠山、大倉山、郭公山

・半径30km圏内 緊急時避難準備区域=五社山(広野)、三ッ森山、屹兎屋山、猫啼山、鬼ヶ城山、大滝根山、五社山(川内)、鎌倉岳、五十人山、国見山、中ノ森山、五台山、小太夫山

・計画的避難区域=野手上山、花塚山、高太石山、霊山、虎捕山、雨乞山、御幸山

 

いずれもしばらくは、登ることは出来なくなってしまった山々である。特に20km圏内は、セシウム137の半減期間は入山出来ないと道は無くなるかも知れない。こんな形で入山禁止や廃道になった経験は今までにない。

 

震災前の12月に福島第一原発から12`の距離にある日隠山を歩いた。標高わずか600mの低い山だ。この季節、まだ晩秋の装いを残している。登山道は落葉で埋もれ、木漏れ日が影をつくっていた。展望台や山頂からは今ではすっかり有名になってしまった福島第一原発が四基並んでいる姿が眺められた。そんな四ヶ月後の悪夢を誰も知らない。その向こうに太平洋が大空の雲を誘うように広がっていた。クヌギの古木が踊り白ブナと呼ばれるイヌブナが輝いていた。

 

あれから四ヶ月、この山には目に見えない放射能セシウムが、大量に降り注いでいることだろう。政府が決めた警戒区域の中に入れられ人間の一切の立入が禁止された場所になってしまったのだった。一見、何も変わっていない風景に、怒りと悲しみを覚える。

 私のような老人は、放射線リスクを云々する意味がないが、子供など若い方の将来がとても心配だ。既に汚染された土地は、そう簡単に元には戻らない。福島の子供達は校庭や公園で遊ばなくなった。もちろん山に至っては、その姿を見ない。高濃度に汚染された20km圏内に住んでいた人々を戻そうと政府は考えているようだ。例え家屋や田畑を除染したとしても、西側に広がる阿武隈山地の森や堆積した落葉を除染することは不可能だ。そこから流れ出る水は汚染され、風が吹くたびに街にセシウムが降注ぐだろう。いつの日か阿武隈の山に子供も含めて人々が姿を見せる日を願ってやまない。

 

 

 

日隠山から福島第一原発

 日隠山で踊るクヌギの大木

日隠山の大ブナの根


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